北海道の初夏を彩る、北海道神宮例大祭の季節を迎えました。今年の年番は山鼻第3祭典区です。祭典顧問をさせて頂いていましたので14日の夕方5時第二鳥居より本殿行進、宵宮祭、15日は午前第二回定例議会召集のため例大祭は家内が参拝、午後から山鼻地区山車巡業に参加約10キロを歩きました。途中自衛隊北部方面総監部の中巡業行を致しましたが、ほとんどの隊員さんが盛大な拍手で迎えてくれました。感動いっぱいです。16日朝7時半集合、発送祭の後、山車巡業行を致します。先頭2台目のオープンカーに乗り先導役を努めました。沿道には市民が待っていてくれていました。特にお年寄りが手を合わせて待っていてくれ、外国人は物めずらしくカメラやビデオを取りまくっていました。長年の祭り神様を大切にする文化が根付いていることを感じます。とにかく、北海道神宮の崇敬の念が熱い市民を行進してみて分かりました。2時4丁目プロムナードで駐輦祭、夕方4時半、還輦祭が行われ4基の神様を神殿にお返しする行事、祭典が終わった行事を済ませて各祭典区の直会を駆け巡り、山鼻祭典区の打ち上げ直会到着。参加された皆さん安堵感で大いに喜びを語っていました。斉藤十三夫祭典委員長さんはじめ関係者の皆さん一年間の準備、祭典とお疲れさまご苦労様でした。私も経験できないことを教わりました有り難うございました。
15日から第2回定例会です。知事の施政方針演説では、一般会計2,488億円の補正予算所謂4年に一度の肉ずけ予算を提案され審議を始めます。しかし金利の上昇や税収の伸び悩みで100億円の歳入不足であり、何とか国の直轄公共事業負担金のうち支出を保留しています。公立高校再編計画案の審議が文教委員会で始まります。サミット特別委員会、食と観光対策特別委員会の審議、一般質問と出番があり頑張ります。
’07はまなす車椅子マラソン大会開会式の行事に参加。思いもある大会です。前にもご紹介したかも知れませんが、昭和60年北海道車椅子マラソン大会として手作り大会をしたのがはじまりでした。ある、若い車椅子で生活されておられる方から、「千葉さん思い切り車椅子で道路を走ってみたいな」 と声をかけてくれました。段々そう言う声を聞くようになりました。札幌市身障協会の理事長であった故東條謙次郎さんに相談しましたところ、大変だぞ、皆がそれぞれ努力しないと実現出来ない、覚悟はあるのかと尋ねられました。私は覚悟出来ていますと答えると、いや若い車椅子の皆だよ。数日経って、車椅子の皆に東條理事長からの伝言を伝え、俺達で出来ることは何でもすると言う事でしたので、「よし、やろう」 と東條理事長の了解をとりました。当時北海道議会議員であり当協会顧問であった木本由孝先生の力をかり、札幌市、交通局、警察、真駒内自衛隊、陸上協会、ボランティア団体、報道各社に協力要請をし、車椅子部会のみなさんにコース町内一軒一軒協力要請をして頂きました。課題はいくつもありましたが、ひとつひとつ丁寧に対応しましたし、それぞれ皆が実現したいと一生懸命頑張って頂きました。大会長には、木本先生。実行委員長には、東條理事長。万全を期して参りました。当日、北海道は台風に見舞われました。朝、小雨でしたが、これから酷くなるとの予報。選手に事故でも起きたら大変と最終判断中止となりました。幻の第1回大会でした。以来幾つかの変遷をへて、今日の大会になっております。
朝、党第1選挙区支部の拡大役員会の会議に出席して、第41回北海道中央地区フォークダンス大会が日高管内浦河町で開催され、大会長として挨拶に参りました。車で3時間結構長距離でした。浦河町は歴史もあり、支庁所在地です。軽種馬牧場、漁業が産業と聞いています。谷川町長が公務お忙しい中大会にお出で頂き歓迎のご挨拶を頂きました。開会式が終わり昼食を頂き、直ぐ札幌の夜の会合に出なければなりませんのでトンボ帰りで又3時間かけて帰りました。
国岡直哉さんが製麺業界に多大なる功績を認め、春の叙勲を受賞されました。関係者集まり祝賀会が盛大に開催され、国岡さん曰く、小学校の時からお父さんに仕込まれて製麺づくりを教えて貰って約68年以来この道一筋でしたと述べられていましたが、業界の重要な役職をこなされ、地域、神社の活動を積極的に参加され、誰からも愛され人望厚く頑張り屋さんで国岡製麺2代目さんであり、親子2代にわたり叙勲表彰されています。私の最後の〆のご挨拶の指名を受けました。国岡さんは 「業界の宝」 若い人々に製麺業創業者の苦労や責任の重さを伝えているとし、その心が3代目智哉社長に引き継がれていると紹介。
山鼻屯田兵記念碑保存式典が此の時期に開催され毎年参加させて頂き、先人の偉業とご苦労を偲び、開拓精神を受け継いで行かなければならないと心新たに致しました。屯田兵家族 1,114人が力合わせて、原始林を切り開き田畑を作り町並みを整備して、自治会活動、民生、金融など地域づくりの原点を果たしていった心意気に学ぶものがあります。私達は、現在未来の地域づくりに挑戦して行く原点は、市民が助け合い、いい街、いい地域、いい国をつくり、東アジアの平和を目指して行きたいものです。
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本当に月日が経つのははやいです。新年あけて半月が過ぎましたが、団体、地域の新年会で招待を頂いておりますので、ご挨拶廻りをさせて頂いております。清治真人札幌市長候補予定者と一日何度新年会会場でお会いするでしょうか、多くの市民にお会いしていただけるかが、ポイントになりました。今日も清治さんご夫妻にあるところでお会いしましたが、奥さんとの馴初めは興部町の高校生時代の同級生だそうです。純愛を押しとうしたご夫婦です。「北海道版・冬のソナタ」 です。ロマンチックな物語です。
幌西後援会の総会並びに道政報告会を開催して頂きました。後援会の経過報告、これからの活動について、特に高橋はるみ知事と清治真人市長候補予定者との連携を密に活動をしていくことのご承認いただきました。来賓として、高橋はるみ後援会北海道を愛するみんなの会会長我孫子健一さん、清治真人市長候補予定者、市議の細川正人さんが出席頂き華をそえてくださいました。その後道政報告をし4年間高橋道政、新生北海道の公約105の検証を含め内容について、プロジェクターを使い説明させて頂きましたが、後援会皆さんの応援で、数箇所お茶懇を開いて下さいました。皆さんに主に夕張問題についての報告や札幌市民の応援方をお願いし、道州制特区について、支庁改革などなるべく分かりやすく説明いたしましたが、市政の身近な問題でないだけに、説明に苦労致します。
新年会が続いています。体力勝負です。お伺いすればよく来たと言って頂き、ありがたいです。皆さんの温かさが精神的な支えです。頑張るしかありません。
自衛隊通信群の皆さんが雪祭りに協力しています。大通り7丁目広場で、タイ王国広場、チャックリー・マハー・プラーサート宮殿の雪像作りです。隊員の皆さんご苦労さんです。関係者で差し入れを致しました。

私の祖父が富山県出身ですので、そのご縁で20年前から県人会に入会しています、そして相談役にして頂いております。今日は札幌富山県人会の総会、新年会に出席、総会では議案満場一致で承認。新年会では、富山市生まれの高橋はるみ知事が参加されご挨拶、乾杯の後、テーブルを廻り親しくご挨拶されていました。参加された皆さん大変お喜びでした。
お茶懇を何度か開いて頂いております。市民の皆さんからいろいろなお話が聞けます。札幌市のこと、夕張財政問題、福祉、環境、雪対策幅広くご意見いただいて参考になります。マスコミのニュースだけでなく市民皆さんの独自の考えを持っていらっしゃることに敬服いたします。お茶懇は本当に生の声が聞けますので、どしどし開催していただくようお願いいたしております。ご覧の皆様でも気楽に声掛けてください。お伺い致します。
悠仁殿下ご誕生記念式典、並びに祝賀行進に参加いたしました。大通り西6丁目に市民約2千名参集し、国会議員、北海道議会議員、市議会議員はじめ関係者が舞台にあがり紹介され、お祝いの言葉を言いその後、ススキノまで約1km祝賀パレードを致しました。沿道の市民も拍手をし、また、手を振ってくれお祝いムードが上がりました。
赤い羽根ティーボール北の甲子園大会 (※1) が札幌ドームで開催されました。 皆さんそれは何と思うでしょう。知的障害者の方々、小学校のチーム合わせて約70チームが集い、三角ベースボールで点数を入れていくゲームです。もう12回目を迎えます。北広島市が本道の拠点で、ボランティアの方々によって今日まで運営されました。大会長は、北海道障害者スポーツ振興協会会長 武田祐男氏で、来賓は町村衆議議員はじめ山本副知事、吉田道教育長、各企業の代表者が応援にこられていました。 (※1 ティーボール: バッティングティーを使用したピッチャーのいない野球競技)
司厨士協会札幌支部長 田村 中さんが、国土交通大臣観光振興功労賞と知事社会貢献賞を受賞され今年で60歳還暦を迎え、お祝いの会があり出席致しお祝いを申し上げる機会を得ました。田村さんは昭和40年ロイヤルホテルに勤務この道40年の業界のリーダーです。家庭では、家族を愛しお母さん思いの優しい人柄と仕事に対する厳しさを兼ね備え誰からも慕われています。そして良き師匠に恵まれています。野口廣吉さん(北海道司厨士協会名誉会長)が最後に一本締めをしました。そのご挨拶の中、一方なれぬ苦労もしたろうが、良く頑張った嬉しいと弟子を褒めたたえました。師匠がお元気でいらっしゃることはありがたいものです。おめでとうございます。



札幌工業高校創立90周年を迎え記念式典、記念パーティーが行われました。札工は大正5年本道の石炭技術を教える学校として設立され、時代の変遷に合わせて本道産業界の技術者養成を使命とし、工業高校のオピニオンリーダーとして発展してきました。校歌に「去華就実の旗風に」とあります、私が好きな言葉です。私も昭和44年電子課を卒業しました。記念パーティーではスピーチをさせて頂きました。青木勇夫同窓会長(記念事業協賛会長)はじめ役員の皆さんのご配慮に感謝します。
長年の悲願であった 「少林寺拳法全国大会を北海道・札幌開催」 を合言葉に北海道連盟地崎昭宇会長以下役員拳士はがんばってきました。30年前に少林寺拳法開祖 宗道臣先生ご家族奥様、お嬢さんの由貴さんと北海道体育協会会長地崎宇三郎代議士とが札幌プリンスホテルで会談、次代を担う青少年達をどう育成して行くかが議論となり意気投合、以来北海道少林寺拳法の会長をお引き受けしました。時代は変わり開祖からお嬢さんの宗由貴総裁へ、地崎宇三郎先生から子息の地崎昭宇さんへバトンタッチされ発展して、私も道連盟の副会長として微力ながらお手伝いして参りました。
10月7日宗由貴総裁はじめ新井庸弘少林寺拳法連盟会長、幹部の皆さん、全国各地の会長さんはじめ役員、ご来賓は斎江中国総領事、田中札幌副市長、道議市議、経済界の皆さんをお迎えし、前夜祭を札幌ビール園で900名の参加者を迎え盛大なジンギスカンパーティーを開催出来ました。
翌8日は朝9時から開会式、拳士 2,500名 総勢 4,500名の参加のもと、高橋はるみ知事、斎江中国総領事、政界、経済界の皆様を迎えての開会式でした。
地崎会長の大会長挨拶、宗総裁の挨拶を聞きながら、30年前を思い出しながら男と男の友情が時間を経て次代に引き継がれ、全国大会が北海道・札幌市で開催されたこと、大変嬉しく胸が熱くなる思いをさせて頂きました。全国から選抜されてこられた拳士の演武を思う存分堪能できました。閉会式を終え大きな責任を果たしてきた安堵感を感じています。地崎会長はじめ役員の皆さん本当に有難うございました。来年は創始60年を迎え全国大会は東京で開催されます。
全国障害者スポーツ大会兵庫大会に、札幌市北海道選手団応援で神戸市に。神田直也札幌市団長と選手団は一日遅れて伺いました。11年前、阪神・淡路大震災で大きな犠牲を払いましたが、立派に立ち直って元気を取り戻している感じです。その地で先の国民体育大会に引き続きの大会開催です。皇太子殿下のご臨席を仰ぎ晴天の青空の下、47都道府県15政令都市の選手の入場行進は見事でした。選手とは別に団長と一緒に遅れて選手控えのオリックス球場へ行ったのはいいけれど、警備が厳重で車椅子の札幌団長が会場に車で入る時も、交通証がないからここで降りてくださいとつれなくされ、私も身分を明かし要請してもだめで車を降りました。車椅子で会場の中へ行き、役員選手入り口があったので入ると、担当者がここは車椅子の方はエレベータで会場には入れませんと言う、札幌の団長としての身分を明かしても駄目でした。さすがの私も切れて、10数人いる係りの人に誰か案内してくれませんかと言ってもうろうろするだけで、仕方なく行くところまで行こうと半周して漸く車椅子が通れる坂に出くわし選手団のいる控の入り口にたどり着く。中が狭いので団長には入り口で待機して頂き、私が中に連絡に行くといった具合でした。役人のマニュアル通りを作らせては天下一品ですが、思いやる心はそのマニュアルにないのかと思う。しかし帰りは又、12時まで会場を出られないことがわかって、札幌へ帰る飛行機の時間との関係で早めに席を立ちました。案の定扉が閉まっていて、ご婦人が困っている。係りの人たちがたむろしているけれど、私が私服警官に身分を明かし、飛行機の時間が間に合わないので御願い致しますと申し上げると、私服警官が私の責任でお出ししますと二人を外に出るまで案内してくれました、感謝です。無事神戸空港に到着し札幌に帰れました。神戸から帰ってくると、夜は北海道空手道連盟文部大臣生涯学習団体表彰、並びに谷澤会長就任パーティーに駆けつけるハードスケジュールでした。