近況報告 平成19年 6月下旬

土曜日, 6月 30, 2007

クリックで拡大  北海道の初夏を彩る、北海道神宮例大祭の季節を迎えました。今年の年番は山鼻第3祭典区です。祭典顧問をさせて頂いていましたので14日の夕方5時第二鳥居より本殿行進、宵宮祭、15日は午前第二回定例議会召集のため例大祭は家内が参拝、午後から山鼻地区山車巡業に参加約10キロを歩きました。途中自衛隊北部方面総監部の中巡業行を致しましたが、ほとんどの隊員さんが盛大な拍手で迎えてくれました。感動いっぱいです。16日朝7時半集合、発送祭の後、山車巡業行を致します。先頭2台目のオープンカーに乗り先導役を努めました。沿道には市民が待っていてくれていました。特にお年寄りが手を合わせて待っていてくれ、外国人は物めずらしくカメラやビデオを取りまくっていました。長年の祭り神様を大切にする文化が根付いていることを感じます。とにかく、北海道神宮の崇敬の念が熱い市民を行進してみて分かりました。2時4丁目プロムナードで駐輦祭、夕方4時半、還輦祭が行われ4基の神様を神殿にお返しする行事、祭典が終わった行事を済ませて各祭典区の直会を駆け巡り、山鼻祭典区の打ち上げ直会到着。参加された皆さん安堵感で大いに喜びを語っていました。斉藤十三夫祭典委員長さんはじめ関係者の皆さん一年間の準備、祭典とお疲れさまご苦労様でした。私も経験できないことを教わりました有り難うございました。

 15日から第2回定例会です。知事の施政方針演説では、一般会計2,488億円の補正予算所謂4年に一度の肉ずけ予算を提案され審議を始めます。しかし金利の上昇や税収の伸び悩みで100億円の歳入不足であり、何とか国の直轄公共事業負担金のうち支出を保留しています。公立高校再編計画案の審議が文教委員会で始まります。サミット特別委員会、食と観光対策特別委員会の審議、一般質問と出番があり頑張ります。

クリックで拡大 クリックで拡大  ’07はまなす車椅子マラソン大会開会式の行事に参加。思いもある大会です。前にもご紹介したかも知れませんが、昭和60年北海道車椅子マラソン大会として手作り大会をしたのがはじまりでした。ある、若い車椅子で生活されておられる方から、「千葉さん思い切り車椅子で道路を走ってみたいな」 と声をかけてくれました。段々そう言う声を聞くようになりました。札幌市身障協会の理事長であった故東條謙次郎さんに相談しましたところ、大変だぞ、皆がそれぞれ努力しないと実現出来ない、覚悟はあるのかと尋ねられました。私は覚悟出来ていますと答えると、いや若い車椅子の皆だよ。数日経って、車椅子の皆に東條理事長からの伝言を伝え、俺達で出来ることは何でもすると言う事でしたので、「よし、やろう」 と東條理事長の了解をとりました。当時北海道議会議員であり当協会顧問であった木本由孝先生の力をかり、札幌市、交通局、警察、真駒内自衛隊、陸上協会、ボランティア団体、報道各社に協力要請をし、車椅子部会のみなさんにコース町内一軒一軒協力要請をして頂きました。課題はいくつもありましたが、ひとつひとつ丁寧に対応しましたし、それぞれ皆が実現したいと一生懸命頑張って頂きました。大会長には、木本先生。実行委員長には、東條理事長。万全を期して参りました。当日、北海道は台風に見舞われました。朝、小雨でしたが、これから酷くなるとの予報。選手に事故でも起きたら大変と最終判断中止となりました。幻の第1回大会でした。以来幾つかの変遷をへて、今日の大会になっております。

 朝、党第1選挙区支部の拡大役員会の会議に出席して、第41回北海道中央地区フォークダンス大会が日高管内浦河町で開催され、大会長として挨拶に参りました。車で3時間結構長距離でした。浦河町は歴史もあり、支庁所在地です。軽種馬牧場、漁業が産業と聞いています。谷川町長が公務お忙しい中大会にお出で頂き歓迎のご挨拶を頂きました。開会式が終わり昼食を頂き、直ぐ札幌の夜の会合に出なければなりませんのでトンボ帰りで又3時間かけて帰りました。

 国岡直哉さんが製麺業界に多大なる功績を認め、春の叙勲を受賞されました。関係者集まり祝賀会が盛大に開催され、国岡さん曰く、小学校の時からお父さんに仕込まれて製麺づくりを教えて貰って約68年以来この道一筋でしたと述べられていましたが、業界の重要な役職をこなされ、地域、神社の活動を積極的に参加され、誰からも愛され人望厚く頑張り屋さんで国岡製麺2代目さんであり、親子2代にわたり叙勲表彰されています。私の最後の〆のご挨拶の指名を受けました。国岡さんは 「業界の宝」 若い人々に製麺業創業者の苦労や責任の重さを伝えているとし、その心が3代目智哉社長に引き継がれていると紹介。

 山鼻屯田兵記念碑保存式典が此の時期に開催され毎年参加させて頂き、先人の偉業とご苦労を偲び、開拓精神を受け継いで行かなければならないと心新たに致しました。屯田兵家族 1,114人が力合わせて、原始林を切り開き田畑を作り町並みを整備して、自治会活動、民生、金融など地域づくりの原点を果たしていった心意気に学ぶものがあります。私達は、現在未来の地域づくりに挑戦して行く原点は、市民が助け合い、いい街、いい地域、いい国をつくり、東アジアの平和を目指して行きたいものです。



ご意見・ご感想をお寄せください