近況報告 平成18年 10月上旬

日曜日, 10月 15, 2006

 10月になると本格的な秋となり、あれだけ暑かった日々も急に朝夕冷え込んできます。夜はストーブに火を入れることもしばしばあります。皆さんは如何でしょうか。恐れていた台風ではなく、風速低気圧被害にあわれた日高、道東地区の皆さん心からお見舞い申し上げます。

 第3回定例道議会も終わりました。空知産炭地、夕張市、芦別市、赤平市、歌志内市、上砂川町の5市町の財政問題が大きな課題でありました。特に夕張市の法的財政再建計画を早く作成しなければならず、道の職員を3名派遣するなど積極的に支援しています。続いて決算特別委員会が開催されます。私も委員として議論に参加致します。

 札幌工業高校創立90周年を迎え記念式典、記念パーティーが行われました。札工は大正5年本道の石炭技術を教える学校として設立され、時代の変遷に合わせて本道産業界の技術者養成を使命とし、工業高校のオピニオンリーダーとして発展してきました。校歌に「去華就実の旗風に」とあります、私が好きな言葉です。私も昭和44年電子課を卒業しました。記念パーティーではスピーチをさせて頂きました。青木勇夫同窓会長(記念事業協賛会長)はじめ役員の皆さんのご配慮に感謝します。

 長年の悲願であった 「少林寺拳法全国大会を北海道・札幌開催」 を合言葉に北海道連盟地崎昭宇会長以下役員拳士はがんばってきました。30年前に少林寺拳法開祖 宗道臣先生ご家族奥様、お嬢さんの由貴さんと北海道体育協会会長地崎宇三郎代議士とが札幌プリンスホテルで会談、次代を担う青少年達をどう育成して行くかが議論となり意気投合、以来北海道少林寺拳法の会長をお引き受けしました。時代は変わり開祖からお嬢さんの宗由貴総裁へ、地崎宇三郎先生から子息の地崎昭宇さんへバトンタッチされ発展して、私も道連盟の副会長として微力ながらお手伝いして参りました。

 10月7日宗由貴総裁はじめ新井庸弘少林寺拳法連盟会長、幹部の皆さん、全国各地の会長さんはじめ役員、ご来賓は斎江中国総領事、田中札幌副市長、道議市議、経済界の皆さんをお迎えし、前夜祭を札幌ビール園で900名の参加者を迎え盛大なジンギスカンパーティーを開催出来ました。

 翌8日は朝9時から開会式、拳士 2,500名 総勢 4,500名の参加のもと、高橋はるみ知事、斎江中国総領事、政界、経済界の皆様を迎えての開会式でした。

  地崎会長の大会長挨拶、宗総裁の挨拶を聞きながら、30年前を思い出しながら男と男の友情が時間を経て次代に引き継がれ、全国大会が北海道・札幌市で開催されたこと、大変嬉しく胸が熱くなる思いをさせて頂きました。全国から選抜されてこられた拳士の演武を思う存分堪能できました。閉会式を終え大きな責任を果たしてきた安堵感を感じています。地崎会長はじめ役員の皆さん本当に有難うございました。来年は創始60年を迎え全国大会は東京で開催されます。

 20日開催の政経セミナー&記念パーティーの第2回実行委員会を開催、役員の皆さんの協力を得て全体のレイアウトが出来ました。微調整は個々の打ち合わせで行うこととし成功を信じて頑張るしかありません。後援会の皆さんいろいろ有難うございます。

 決算特別委員会の書面審査がはじまりました。16日間続きます。そして審議をへて11月15日までの予定で開催されます。市議会の時は書面審査がありませんでした。直ぐ決算特別委員会を開きましたので、いささか戸惑っています。

 高橋はるみ知事の政経セミナーが 約1,000人の方々が参集して盛大に開催され、講師に元外務大臣川口順子参議院議員の講演、高橋知事の道政報告、そして高橋知事が作詞の歌 「伝えて、この想い」 をみんなで合唱しました。高橋知事は、まだ、やらねばならないことがまだあると含みを残し再選出馬を宣言しませんでした。それにしても知事はタフです。前日汽車で遠軽町はじめ管内を低気圧被害視察をして、午後女満別空港から千歳空港へ。そして札幌で記者会見、夜のセミナーと超多忙なスケジュールをこなしていますが、疲れを見せず生き生きと道政報告をしていました。

 悲願の日本ハムファイターズが25年ぶりパリーグ優勝を果たしてくれました。感動です。後は日本シリーズで優勝を目指せ!コメントはそれからにします。

 全国障害者スポーツ大会兵庫大会に、札幌市北海道選手団応援で神戸市に。神田直也札幌市団長と選手団は一日遅れて伺いました。11年前、阪神・淡路大震災で大きな犠牲を払いましたが、立派に立ち直って元気を取り戻している感じです。その地で先の国民体育大会に引き続きの大会開催です。皇太子殿下のご臨席を仰ぎ晴天の青空の下、47都道府県15政令都市の選手の入場行進は見事でした。選手とは別に団長と一緒に遅れて選手控えのオリックス球場へ行ったのはいいけれど、警備が厳重で車椅子の札幌団長が会場に車で入る時も、交通証がないからここで降りてくださいとつれなくされ、私も身分を明かし要請してもだめで車を降りました。車椅子で会場の中へ行き、役員選手入り口があったので入ると、担当者がここは車椅子の方はエレベータで会場には入れませんと言う、札幌の団長としての身分を明かしても駄目でした。さすがの私も切れて、10数人いる係りの人に誰か案内してくれませんかと言ってもうろうろするだけで、仕方なく行くところまで行こうと半周して漸く車椅子が通れる坂に出くわし選手団のいる控の入り口にたどり着く。中が狭いので団長には入り口で待機して頂き、私が中に連絡に行くといった具合でした。役人のマニュアル通りを作らせては天下一品ですが、思いやる心はそのマニュアルにないのかと思う。しかし帰りは又、12時まで会場を出られないことがわかって、札幌へ帰る飛行機の時間との関係で早めに席を立ちました。案の定扉が閉まっていて、ご婦人が困っている。係りの人たちがたむろしているけれど、私が私服警官に身分を明かし、飛行機の時間が間に合わないので御願い致しますと申し上げると、私服警官が私の責任でお出ししますと二人を外に出るまで案内してくれました、感謝です。無事神戸空港に到着し札幌に帰れました。神戸から帰ってくると、夜は北海道空手道連盟文部大臣生涯学習団体表彰、並びに谷澤会長就任パーティーに駆けつけるハードスケジュールでした。



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