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近況報告   平成26年8月上旬

月曜日, 8月 18, 2014

暑いですね。本格的な真夏を迎えております。長期予報では北海道は冷夏と言われておりましたが、どうなっているのでしょう。

中国の元大幹部の捜査が進んでいます。1兆7千億円(札幌市の26年度当初予算一般会計、企業会計、特別会計合計が1兆5、363億円)の蓄財があると報じられています。そして関わりある人々15万人が取り調べを受けております。中国国民は中国共産党を許すのか見守りたい。日本なら問答無用で政権が吹っ飛びます。


1日、朝から暑いです。事務所に出て溜まっていた書類整理を致しました。道教育委員会の幹部さんが打ち合わせに来て頂き恐縮しています。数組来客が続きました。

夜は、北海道税理士政治連盟第1支部会総会・懇親会に招かれ、税理士の先生方と懇談させて頂きました。中小零細企業のメリットがない法人税率引き下げは慎重にとか、軽減税率反対とか様々なご意見を拝聴できました。


2日、朝、亡妻の月命日で息子と西本願寺へお参りに参りました。

事務所で書類整理です。


15時、伊達忠一参議院議員の政経セミナーで今回は、森喜朗元内閣総理大臣が講師で2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックが大きな柱かと思っていましたが、2/3は政治の話で大変面白く人を飽きさせない話術でした。さすが元総理で早稲田雄弁会出身です。






3日、昼、中央区曙地区「サマーフェステバル2014イン曙」に出席致しました。

今年で5年目、地域に溶け込んだサマーフェステバルになりました。

民謡歌手の唄、じょんがら三味線、カラオケ、暑さも吹っ飛びます。札幌社会福祉専門学校の学生がボラティアで地域の人たちをサポートしていました。



4日、朝、北海道衆議院1区船橋利実代議士・道議・市議の勉強会意見交換会がありました。船橋利実代議士から今後の国会運営についてや、地域要望などが話されました。

その後、事務所で書類整理を致しました。

夕方、道議会日米友好促進連盟の懇親会が知事公館であり出席しました。在アメリカ主席領事、アメリカ大使館から公使もみえて楽しいひと時を過ぎしました。



5日、朝、第一海上保安本部坂野公治本部長が新たに着任されましたので、危機管理上総務委員長として、小樽までご挨拶に伺いし懇談も致しました。9月25日にオホーツク海の非常災害訓練もして頂けるお話も頂き感謝です。北方領土初め北海道全域の海上を守って頂いています。


昼に、議会へ、12:40分議員総会、13:00総務常任委員会、エネルギー勉強会、妙心寺の大奥様のお通夜にお参りに参りました。


夜は、「粋いき会」です。札幌見番の芸者さん方の発表会で幹事を務めておりますので仲間の幹事さんと出席しました。札幌見番の芸者さん方毎日厳しいお稽古をしていても発表する機会がなく、サポーターとして今回で15回目です。なかなかお手伝いが出来なくて申し訳なく思っておりますが中国の友人と旅行社の女性幹部、地方企業幹部をご案内致しました。みなさんはじめてのことで日本の伝統芸能文化が素晴らしいことに感動されておりました。札幌の伝統芸能文化が小さくとも着実に育っております。男女のお客様参加です。


6日、妙心寺の大奥様の告別式にお参りに参りました。10:00新幹線・交通特別委員会に出席しました。

昼から、明日の中国瀋陽市訪問の支度、買い物に追われました。

夜は、すすきの祭り50周年記念パーティーに出席しました。

また、後援者の八木忠雄会長のお通夜に伺いお参りさせて頂きました。市議時代からの応援者で感謝しております。心からご冥福をお祈り致します。


7日、朝、成田経由で夕方中国瀋陽市へ、

この度の訪問は、瀋陽市残疾人聯合会を札幌市身体障害者福祉協会浅香会長と二人で訪問を致しました。

昨年新しく出来ました、瀋陽桃仙国際空港に着陸しますと瀋陽市残疾人聯合会沙鋼理事長、幹部が大勢、出迎えにわざわざ来て下さり久さし振り再会しました。(沙理事長は、数年前体育局の副主任をされて卓球の選手団を連れて札幌を訪問されております。)

夜は、瀋陽市外事弁公室の筆頭副主任羅さんら幹部が歓迎会をして頂きました。

千葉議員には瀋陽~札幌のあらゆることに橋渡しをされ貢献されていることに感謝したいとご丁重なご挨拶を頂きました。感動でした。



8日、朝、ホテル近くにある瀋陽市中心部にある瀋陽美術工芸店を視察しました。

ここに、障がい者の方々が作った作品を展示して、内外のお客様に買って頂きたい話を進めており、是非見て頂きたいとのことで案内されました。宝石、象牙作品、絵画、鳥の羽でつくる瀋陽画、木彫りの家具、陶器、絹織物など展示されております。


瀋陽美術工芸店社長夫人(副社長)、専務からいろいろ説明を頂きました。一流店で展示即売出来ることは素晴らしいことだと感心致しました。



11時、瀋陽市残疾人聯合ビルを訪問し視察もさせて頂きました。もう何度か訪問していますが、来るたびに進化し、展示、訓練所が代わっております。視力障がい者の方々の生活風景や展示場所が増え、体験場所も新たに設置されております。

今回は、特に、国家プロジェクトと瀋陽市政府が最も力を入れている、肢体不自由児・者、知的障がい児・者のリハビリ―訓練を徹底的に行っております。非常に効果があることで親も、リハビリ―訓練の先生方も必死で取り組んでおりました。

多くのリハビリ―訓練をされている患者さんがおられます。

沙理事長も札幌のリハビリ―訓練の力を借りたいと申されておられ力のなりたいと思います。


昼、瀋陽市残疾人聯合会の方々と昼食会を開いて頂きました。ビル内にある食堂で東北の家庭料理をご馳走になりました美味しかったです。










ホテルに戻り一休みした後、瀋陽市郊外にある「英守村」に案内すると言って下さり、車で約30分位の「英守」村を訪問しました。もう村ではなく瀋陽市に組み込まれ新興住宅地になっており高速道路も建設中であります。コミュニテーに立ち寄り元の地区主任や地区広報の方が案内してくれました。そして、地元の小学校「英守小学」に案内して下さいました。そこで、私の名刺を出しこの学校を見に北海道札幌から伺いましたと申しましたら、びっくりして「ご縁ですね」と笑って答えて下さいました。

夏休みで生徒はいませんでしたが、かつては1、000人の生徒が通っていましたが現在400名の生徒が通い優秀な生徒が沢山おりますよと説明してくれ、学校の中を案内してくれました。

一種の感動でした。

英守のゆかりの名称は「昔。高台に鷲が住み着き外敵からこの地域を守ったとのこと」鷹守であったが字が難しく鷹を「英」にして「英守」とした言い伝えがあるそうです。



本当に近くに、人口湖の丁香湖が近くにあり視察しました。市民が憩っていました。










夜は、瀋陽市残疾人聯合会の歓迎会でした。素晴らしい会場で心温まる歓迎を受けました。


そこでの会談は、2000年に、札幌市身体障害者福祉協会と瀋陽市残疾人聯合会との友好団体として締結しておりましたが、ここ数年交流が途絶えていましたので、今後の友好を進めていくかを切っ掛けにしたいこと。今年の秋には瀋陽市残疾人聯合会副理事長他1名を札幌に招請したい旨をお話し了解を頂きました。また、今後秋までに、きめ細かい提携の内容を互いに詰め、来年瀋陽市残疾人聯合会が沙理事長はじめ使節団が札幌訪問した時に提携内容を締結したいとの意向が示され、努力することを確認しました。




9日は土曜日、全ての役所は休みです。瀋陽市残疾人聯合会の幹部が折角瀋陽にいらしたのだから、近郊にある本渓市にある鍾乳洞に是非ご案内したいとのことでご案内を頂きました。私も数年前の冬に伺いましたが夏の趣きを感じたく浅香会長共々に伺いました。

車で約2時間です。街から少し外れています。もともと鉱山地帯で石炭、石油、鉄鉱石など採れ観光地の鍾乳洞を持ち裕福な街のようです。

昼前に今日に観光客は1万5千人だと教えてくれました。鍾乳洞に観光客は並びますが私どもは本渓市のVIP待遇で横から入れました。すみません。鍾乳洞は片持ち30分位モターボートで行き、七色にライトアップされて整備され年中5度くらいの温度だそうです。北海道観光者の大きな観光スポットになることは間違いありません。

昼、本渓市の観光関係者のご挨拶を頂き鍾乳洞施設のハウスで食事をご馳走になりました。帰り、本渓市内を車で廻って頂き大きく変貌した市内を見ました。高層マンションが立ち並んでいます。変わりましたね。本渓市の街も。

ホテル帰りましたら、ホテルで肖紀善瀋陽市国際体育協会元会長ら幹部と面談しました。

札幌市の青少年スポーツ交流の生みの親でもあります。ご病気と伺っていましたが回復されお元気でお会いして下さいました。来年、青少年の団をつくり札幌を訪問したい強いご意志です。関係者に伝えると約束しました。

そのあと、友人張鳳承さんと面談致しました。懐かしいです。10年間札幌―瀋陽便をつくった人です。今は、勇退して観光お菓子を作っています。






あれよあれよと瀋陽市残疾人聯合会主催のさよなら夕食会の時間となりました。沙理事長の懇意にしている鉄西地区の海鮮料理屋さんで夕食会を開いて下さいました。海南島の鮮魚類です。気さくな店主で乾杯と場を和ませて頂き盛り上がりました。

お別れを惜しんで再会を誓いました。


10日、早朝6:30分ホテルを出発しました。飛行場へは一緒に瀋陽市残疾人聯合会の朱副理事長、伊さんと事務局、外事弁公室楊さんが送りに来てくださいました。

最後まで温かい気配りの歓迎を受けました。ありがとうございました。

8:30発南方航空、瀋陽―札幌のチャタ―便で12;30分新千歳空港着で帰札しました。

この度の、瀋陽市残疾人聯合会訪問は、心温まる行き届いた歓迎を受けました。やはり沙新理事長とのスポーツを通じての過去の面識、幹部との長い間の交流がそうして頂いたと思います。良い人脈は縁ですので札幌市身体障害者福祉協会と瀋陽市残疾人聯合会が今後一層交流が進み、障がいを持った方々の応援をしっかり進めたいと思います。


11日、朝、事務所へ書類整理し、議会で教育の打ち合わせ。事務所へ

陸上自衛隊第11旅団渡部旅団長が着任挨拶に事務所へお越し頂きました。恐縮しております。

中国瀋陽市訪問でいささか風邪気味で、各地の夜の盆踊り大会には欠席にしました。


12日、朝から、後援者の物故者に対して新盆につき各ご自宅にお参りに伺いました。

強力な応援者でした桶谷賢知さんがご逝去され訃報の連絡がありました、葬儀委員長のご依頼があり、夕方弔問に伺いました。誠に残念です。


13日、朝、我が家のお墓参りで西本願寺へ、地崎家のお参りへ円山墓地へ、藻岩山東本願寺墓地へお参りをさせて頂きました。

午後から、後援者の物故者に対して新盆につき各ご自宅にお参りに伺いました。

夜は、地区盆踊り大会に顔出すのが恒例ですので数か所伺いました。


14日、事務所で書類整理を致しました。夕方、桶谷宅へ弔問打ち合わせで伺いました。


15日、昼、札幌護国神社平和祈願祭参拝へ、今日は終戦69回目にあたります。

多くの犠牲者を出した太平洋戦争でした。二度と戦争は起こさない平和を維持していく誓いの日でもります。静かにご冥福をお祈りしました。

夜は、故桶谷賢知さんの通夜で葬儀委員長を務めさせて頂きました。


16日、朝、故桶谷賢知さんの葬儀で葬儀委員長を務めさせて頂き、換骨、初七日、三十五日、四十九日の繰り越し法要を終りました。通夜、葬儀と多くのご友人のお参りを頂きました。お人柄ですね。私も公私にわたり大変お世話になりました。ご冥福をお祈り致します。


17日、朝、まだ風邪がはっきりしません。昼、来客、書類整理。

夕方から、故加藤亨先生が作り上げました麻雀親睦会「東豊会」が会員減と高齢化で解散式に伺います。30数年続いた会ですが誠に残念です。幹事の皆さん、会員の皆さん長い間本当にご苦労様でした。


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近況報告  平成26年5月上旬

土曜日, 5月 17, 2014






皐月、厳しい酷寒を耐え抜いて春爛漫を迎えました。

しかし今年も3分の1が過ぎました。本当に早さを感じています。

桜も今年は遅咲きかと思っていましたが、例年並みかそれより早く咲きました。先月京都以来2度の桜を楽しんでいます。

政治も集団的自衛権の問題で議論がなされています。国民はなかなかピンと来ていないところもありますが、憲法下で政治は現実の中最大限努力しなければなりません。

平和を守ることは国民の義務ですが、日本だけでは平和は守れない現実です。


東アジアを見ても、緊張感があるのも現実です。その中で、あってはならない有事の時にこれはできません、あれも出来ません、ではなく最小限度これだけは出来る集団的自衛権確立は必要なことだと思います。その手法が、憲法改正なのか、法的解釈で出来るのか議論は必要だと思いますが、このまま何もしなくて良いとは思いません。政府としても国民を守る義務があります。良い機会です。しっかり国民議論になるように国民一人一人考えるチャンスが与えられたと思います。


1、このままでいいのか

2、現憲法下での最小限度の集団的自衛権確立を得ていくのか

3、時代を見据えて憲法改正をして抜本的に代えていくのか、

4、また、現憲法下での法解釈に無理がある議論等々があります。

そのうえで集団的自衛権確立賛否があるのも事実です。複雑なことがありますがしっかりと見つめていきたいとお思います。


1日、連休中日とあって静かです。事務所へ出て書類整理を致しました。

夜は、北海道神宮頓宮の一日講社物故者慰霊祭に出席致しました。


2日、事務所で書類整理後、亡妻の月命日で西本願寺へお参りに伺いました。


3日、ある団体の春の大祭に伺い参拝致しました。


4日、明日からヨーロッパベルギー出発のため、荷物の詰め込み不足買いだしなど走りました。夜は、息子と焼き肉さんで夕食を共に致し留守を頼みました。







5日、議会でも取り上げ「世界の水産エキスポ」に北海道としても参加して北海道ブランド力をつけるべきだと訴えてきました。かねてから、世界の水産エキスポ博 「ベルギーブリッセルシーフードショー」を視察する機会を得ました。

参加者は水産加工業界の有志の方々と道の担当参事と私の7人です。

最後までブリュッセルのホテルが取れなくて、決断が出来ませんでしたが2班に分かれ1班はブルージュ市へ、2班はパリで宿泊することで実行出来ました。それぞれの地から列車でブリッセルまで1時間~1時間半かかりますが、それも勉強です。

報告します。

朝、7時50分新千歳空港成田行きに乗り、9時20分成田着、10時30分成田発ヘルシンキ行きに乗り時差6時間で現地時間14時55分ヘルシンキ着、16時40分ブリュッセル行きに乗り時差1時間(日本とは7時間)18時15分ブリュセル空港着で列車でブルージュ市へ乗り換えケント市で1時間遅れが出ました、ブルージュ市到着夜8時半頃でした。

ホテルに入り夕食をとりましたホットしたら日本時間で翌朝方5時位でした。やはり自宅を出てから22時間~23時間はかかりました。



6日、朝、列車でブリュッセルへ、パリ組と合流をして会場までタクシーで参りました。



「ベルギーブリュッセルシーフードショー」を紹介致します。

1993年水産物主体でブリッセルシーフードショー開催

1999年加工機械、物流技術も含めた総合的な水産エキスポになる

なぜブリッセルなのかは、自然豊富でヨーロッパの中心で世界中の方々が観光に来やすいところだから。世界中の生産者と世界のバイヤーが情報交換が出来、主要水産物の価格を決めれる場所でもある。

今年は、5月6日~8日までの3日間です。

出展参加国 76か国 1、712社

参加人数 25、000人(145ヶ国)



もっと具体的には、出展参加国中国183社、スペイン126社、フランス101社、アメリカ73社…・日本は15社のうち1社が関連機器・設備メーカーです。(ジェトロブースには7社)

2013年日本からEUへ水産物輸出額は50億7、200万円前年比41%で、その

うちオランダに20億1、100万円となっている。


日本から世界へ水産物品目別輸出額は

ホタテ 98億4,986万円1、アメリカ 2、中国 3、ベトナム

さば 119億5、636万円1、エジプト 2、タイ 3、ベトナム

マグロ 92億2,126万円1、タイ   2、グアム 3、ベトナム

ブリ 89億3,236万円1、アメリカ 2、香港 3、カナダ

鮭・ます 83億7,348万円 1、中国 2、タイ 3、ベトナム

でわかるようにEUへの販路が弱いことがわかる。


外国関係者(中国人青島地域の方)と話した内容は、北海道からホタテを輸入して青島で水産加工してアイルランドに輸出をしていますとのこと。

同じく(大連地域の方)北海道から鮭を輸入して、大連で水産加工してEUに輸出している

とのことです。



北海道の水産物がなぜEUに輸出出来ないのか?

日本から水産物を輸出するには、漁獲証明書、衛生証明書が必要となります。


衛生証明書はEU向けHACCP認定の施設・船舶などが使用されたことを証明する書類が必要です。日本にはHACCP認定済み施設・船舶が少ないことが輸出可能品目が限られる。今年3月の時点で国内でHACCP認定済み施設は29施設であります。


認定加工施設の品目は、ホタテ、ハマチ、カンパチ、マダイ、魚油、魚肉練製品、かまぼこサメ、マグロ、シマアジなどに限られている。


アメリカのEU向けHACCP認定の施設は947施設。カナダ627施設、中国567社等日本の輸出水産対策の遅れが響いています。北海道の水産物を世界への夢を実現する為にもHACCP認定施設などの対策を急ぐ必要があります。


主催者のアメリカ Diversified Business Communications社の担当台湾人にいろいろお話を聞くことが出来ました。ジェトロの関係者の皆さんとも話が出来ました。6日、7日と、私にとりまして始めての大きな国際コンベンションであり、世界のコンベンションの凄さを経験しました。




ブリュッセルの街と世界遺産ブルージュの街を歩くことが出来ました。


又、初日ブルージュに入る時、列車の遅れでゲント市で一時間待たされ駅前を散策した写真を添付します。



9日に帰国しました。


10日、朝、伏見若葉会総会に出席しました。午後事務所で書類整理を致しました。


夕方、幌西第一分区町内会総会、20日会例会、北海道歯科技工士会公益法人移行祝賀会、北海道少林寺拳法新役員懇親会に出席しました。



11日、午前団体の例大祭に出席し、昼、鉄道OB会中央区支部総会・懇親会に出席。

ある団体の総会・懇親会に出席しました。


12日、道議・市議プロジェクトチーム打ち合わせ会に出席。その後議会で打ち合わせ。

午後、事務所で打ち合わせ書類整理。

夕方、北海道造園建設業協会役員との勉強会へ出席しました。


13日、後援会会員方お二人の告別式9時、10時とお参りに伺いました。ご冥福をお祈り致します。

議会へ打ち合わせ。12時40分議員総会、13時総務委員会を仕切り、その後、議員定数検討プロジェクト出席。

夕方、私立中学・高校学校協会懇親会に出席。その後、ダストクラブ出席、今日のゲストはJAL日本航空大西賢会長でした。


14日、朝、新幹線・交通特別委員会に出席しました。

ベトナム議員連盟役員会(中央要請と7月ベトナム訪問)の話し合いでした。

昼、国土強靭化の勉強会。3時札幌商工会議所で意見交換。

夕方、三吉神社の宵宮祭で参拝しました。その後、教育文化協会理事会に出席し、教育関係に長く携わっている先生方と様々意見交換を致しました。勉強になることいっぱいあります。



15日、朝、三吉神社の例大祭に参拝しました。議会で打ち合わせ。

昼過ぎ事務所へ、凛葉会の役員の方々が総会に向けての準備をして下さっております。感謝です。




3時、中国料理協会札幌支部総会に出席しました。


夜は、全日本司厨士協会北海道地区・札幌支部合同懇親会に出席しました。

午前中からコンテストがあり入賞者表彰など、又80歳以上の功績のあったダイヤモンドシェフ表彰などがありました。



16日、中央卸売市場へ打ち合わせに伺いました。

事務所で書類整理をしました。一日雨です。

夜、北海道ガラス外装クリーニング協会懇親会に出席しました。


posted by 千葉英守   |    0 comments

近況報告  平成25年11月下旬

金曜日, 12月 06, 2013

晩秋のロマンチックなイメージとは程遠く、本当に寒くなりました。石油ストーブがないと生活できなくなりました。

 

 

15日、午後、来客数組対応し、14時、自衛隊総監部に伺い幹部に少林寺拳法拳士がおり、北海道少林寺拳法幹部との面談を致しました。今でも自衛隊少林寺拳法部に所属されています。

今後、道連行事にご案内をすることにしました。

 

北海道理容美容専門学校の学生で着付け全国優勝した方々や弁論大会で全国2位になったことを高橋はるみ知事に報告に伺いました。

素晴らしい成績で、知事も女性ですので大変喜んでおられました。

 

道警坂明本部長が少林寺拳法4段との情報を得ていましたので北海道少林寺拳法幹部で表敬訪問を致しました。大変少林寺拳法に深い思いがあり今後道連行事にご参加をお願い致しました。

 

夜、故山口フミさんのお通夜へお参りに伺いました。

西連合町内会長、札幌市老人クラブ連合会会長などお勤めになり、私の西後援会長をお勤め頂きいろいろなアドバイスを頂き頼りにして参りました。

心からご冥福をお祈り致します。

 

16日、午前、故山口フミさんの告別式に最後のお別れに伺いました。

 

母、義母の見舞いに参りました。

ベトナム訪問の支度に時間を要しました。

 

17日から23日まで、日越友好北海道議会議員連盟の訪問団(団長釣部勲道議、千葉幹事長)の超党派20人、議会事務局2人、民間会社3社の25人の団になりました。

3月頃から準備をして6月に日越友好北海道議会議員連盟を立ち上げ、大使館にも何度の伺い打ち合わせをして今日を迎えました。ベトナム北海道名誉領事中島太郎氏(釧路コールマイン社長)のご協力を頂ければなり得ないことでした。

感想を含めて訪問報告を致します。それとお詫びですが私が写した写真のデータが操作ミスで消滅致しました、データー解析に専門会社に出しましたので暫くの時間を下さい。

 

ベトナム国の基本的なものは、ベトナム社会主義共和国です。首都はハノイ市

人口約9、000万人 通貨ドン

宗教 仏教、カトリック、カオダイ教

国民平均年齢 29歳

日本ODA経済協力2,700億円 日本はベトナムにとって最大援助国

 

 

 

  

17日は、昼に新千歳集合しました。前半組ホーチミン市)と後半組(ハノイ市)に分かれます。全行程組と前半組の集合となりました。

成田経由になります。ベトナムとの時差が2時間マイナスになりますので22:40ホーチミン市)の国際空港に到着。15年前とは違い近代的な空港になっています。ホテル到着0時(日本時間午前2時)でした。

 

18日、朝早く目が覚めました。ホテルの廻りを散歩しましたが、スクーターの洪水です。向かいの学校を覗いてみたいと思っていても、怖くて渡れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

ホーチミン日本総領事館に伺いベトナムの現状を伺いました。

日田春光総領事、札幌市から外務省派遣で佐藤格郎副領事がサポートしてくれておりました。

日本企業の進出が昨今目覚ましいが、特別な医療、学校などは合弁でなければ進出出来ないが、あとは申請に基づいて地方政府並びに政府が許可するとのこと。

私から、説明の中で社会主義国なのに医療費がかかり、教育に金がかかるのは不思議に思うが国民所得格差が起こり、いずれ革命が起きる可能性はどうかと尋ねましたら、秘密警察が民衆の動きを見張っているのでそれはないと思うと断言。

 

 

 

 

 

  

午後、ホーチミン市人民委員会訪問が叶わなくなりましたが、ホーチミン市人民委員会書記ル・フー・ハイの甥さんル・ハイ・タイさんが、ホテルに来てくれて歓迎メッセージを読んで下さいました。

 

 

  

 

 

 

 

 

  

道内IT企業アセアンビジネス支援事業でホーチミンIT企業の皆さんに集まって頂き、道内IT企業の優れた内容のプレゼンテーションを行いました。

その後のレセプションの道産品を使った料理を提供し好評を得ていました。

〆の乾杯の音頭をとりました。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

19日、午前中、サッポロビールホーチミン辻裕文支店長、イオンモール株式会社坂井穂央子さんと会いお二人とも北海道出身です。日本総領事館とは違う観点からお話を頂きました。

まず、ベトナム人は勤勉と言うが、時間には遅れてくるし、時間になったら直ぐ帰るし、休暇で古里に帰るが帰ってこなかったり当初は苦労しましたと言い、企業に忠誠を誓わない、給料の高い所を目指していつから定着率が悪いなど、ベトナム人の特徴について話されていました。

坂井さんはベトナムばかりでなくアセアン全体のマーテングを行って戦略を考えています。強く印象に残っている言葉は、日本人だけが優秀で世界に負けないステータスを持っていると思っているが、そんなものはアセアンでは通じない、地域・地域でそれぞれ違うニーズをどうくみ取り提供するかが毎日の勝負だと、ステータスだけでは物は売れない。と本音を言って下さいました。

 

その後、郊外にある新都心地区にイオン建設中を外側から拝見しました。

来年1月1日オープンだそうです。イオンの新たな挑戦が始まります。

 

 

夕方、ハノイに向かって移動しました。

 

 

 

 

 

ハノイはホーチミンとは違い、風格のある落ち着いた街です。スク―ターも多いが乗用車が多いです。ホテルは警戒厳重で聞くと、猪瀬東京都知事、モンゴル大統領が止まっているとかです。

 

 

 

 

 

 

 

20日、朝、バスで3時間移動し炭鉱の町ナウマウ炭鉱に伺いしました。

本社ではブ―・ビェット・ハイ副社長はじめ多くの社員の皆様が歓迎して頂きました。ここに、釧路コールマインの石炭技術・保安技術が導入され社員の皆さんも派遣されて技術指導を行っています。そして40分移動し整理整頓された坑口まで行き記念写真を撮りました。ベトナムでは炭鉱事故が年800人ほどであったものが100人程度になりましたが、更に事故0を目指して釧路コールマイン技術者は努力しています。

 

 

 

  

 

 

遅くなりましたが昼食会をナウマウ炭鉱会社が招待してくれました。

心のこもった招待です。ベトナム料理と炭鉱で作っている非売品のベトナムウオッカが出されました。非常に呑みやすいです。炭鉱から歌が出ましたので我々も「北海盆唄」を歌ってお返し盛り上がりました。素朴な人と人との交流でした。

 

炭鉱近くがハロン湾ですのでホテルはハロン湾近くのホテル「ハロンプラザ」に宿泊です。

   

  

 

 

 

 

  

 

 

21日、朝、炭鉱がある省「クアンニン省」を表敬しました。

グエン・バン・タイン人民委員会副委員長・グエン・マン・クオン人民委員会副委員長のお会いしました。

クアンニン省の紹介があり産業は工業50%サービス観光40%農業8%の省であること、産業発展と将来に備えて環境に優しい地域にして行かなければならないし、工業発展とハロン湾を守るサービス業を発展していかなければならない試練を経験して行かなければならない。

日本のODAで大きな橋が掲げてもらいました。人民は感謝しています。

今後、高速道路の建設など日本の投資を期待します。

今後、北海道との投資関係を結びながら発展をさせてもらいたい。

グエン・バン・タイン人民委員会副委員長は日本語がべらべらで北海道に数年前に来られています。是非再度北海道にいらして下さいと申しましたら日本語で必ず行きますと返事が返って来ました。

 

 

 

  

昼から世界遺産ハロン湾の周遊を致しました。生憎の曇り空でしたが神秘的な空間です。途中、ある島に寄り彩られた鍾乳洞をみました。不思議な空間です。

 

海上生活者の所にも寄り、生活の一部を拝見することが出来ました。

約3時間に周遊でしたが、外は寒くセターを着てみましたが船の中で海産ベトナム料理を頂きました。

それから3時間半ハノイに帰って来ました。

 

 

 

 

22日、午前、日越友好議員連盟ロク副会長(国会議員)を訪問しました。

国会開会中なので早朝の面談になりました。工業ばかりでなく農業の技術支援に期待したいと申され、退職後の日本人がベトナムで生活できる仕組みが出来ないかとの提案がありました。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

ベトナム石炭鉱物工業公社を訪問し、レ・ミン・チュアン総裁から高橋知事に感謝状を頂きました。高井副知事が代理で頂きました。

レ・ミン・チュアン総裁は社員が14万員おり国の中でも大きな企業でエネルギーを統括出来るまでになりました。日本へは300万トン輸出し30年の歴史を持っている、定期的に供給できるようにして行きたい。

すでに北海道には1300人のベトナム研修生を派遣し石炭技術・保安を教えて頂いている。と総裁も若いとき釧路で研修に来られています。

 

   

 

次に、ベトナム友好諸組織連盟(国際友好議員連盟)のヴ・スアン・ホン会長(国会議員)を訪問致しました。国会開会中にも拘らず面談頂き感謝します。

日越友好40周年を記念して北海道議会議員全員が加入した議員連盟が発足したことはベトナム国を代表して感謝しますと申されていました。何度も日本に来ておられるようで、日本との協力は必要でこれからがますます必要になってくると強調しています。

 

次に、解団式を含め夕食を食べ、一路ハノイ国際空港へ23時55分成田行きに搭乗し23日、昼過ぎ帰札致しました。

帰り母の見舞いに走りました。

 

夜に開催された道央技能まつりの祝賀会に参加し、来賓祝辞を述べる機会を得ました。

 

24日、昼、北海道地域指導者協会主催のダンス記念日に参加しました。

日本のダンスの歴史は深く、明治時代西欧化した鹿鳴館で踊ったことが始まりだとか11月29日がその日に指定されています。

 

 夜は、調理師さんの指導者が多く月1回集まり懇談する会「20日会」50周年記念の集まりで、最初から参加している女性コック第1号遠藤さんに感謝状と金一封が渡されました。凄いです。毎月50年続くことは奇跡です。

これからも北海道の料理発展の為にも頑張ろう。

 

25日、事務所に出て書類整理、議会に出て打ち合わせ夜の飛行機で上京しました。

 

 26日、昼、自民党総務会長野田聖子衆議院議員と北海道後援会の皆さんと昼食会に出席しました。野田聖子先生は衆議院議員在職20年の記念パーティ「野田聖子さんのさらなる飛躍を期待する会」が夜開催されます。それに先立ちお祝い昼食会です。子育て、主婦、議員、総務会長をこなすスパーマダムです。10月私の政経文化セミナー特別ゲストでお迎えしました。

 

14:30の飛行機で帰札し、議会に戻り打ち合わせ。夕方から第30回北海道商工会議所連合会役員就任パーティーに出席しました。

 

27日、朝、議員総会、10時総務委員会、12時党議員定数プロジェクト、13時新幹線総合交通体系対策特別委員会

 

5時、花供養祭に出席。生産者・流通・販売・消費の関連業界が一堂に会し花に感謝し供養を行いました。その後生産者切り花農林水産大臣表彰・知事表彰などがあり引き続き懇親会で祝辞を述べました。

 

28日、第4回定例会が招集されました。

一般会計補正予算22、6551,410円等が提案されました。

本会議終了後、全国都道府県議会議長会10年以上在職表彰で、我れら3期が表彰を受けました。

昼、看護振興議員連盟と看護協会・看護連盟との政策懇談会

午後、党JR北海道安全問題対策本部会議。

 

29日、昼の飛行機で上京しました。

 

 

 

 

 

 

 

夜、少林寺拳法グル―プ主催で中国大使館共催「日中文化交流の夕べ」に参加しました。宗由貴総裁と程永華大使が共同で「日中文化交流の夕べ」を開き、長年培って来た日本と中国の民間交流を大使館で開くことに尽力されて実現しました。

今の日中間の緊張感がある中、いろいろ中国側に異論が出たようですが、程永華大使が長年少林寺拳法が果たしてくれた友好の実績を話されて大使、公使3人、参事官全員が参加されたのは初めての行事だったようです。心のふれあいのあるイベントでした。政治で出来ない経済交流のほかに純粋民間交流の先頭に立って宗由貴総裁が頑張っている姿に応援したいです。

 

30日、昼過ぎ帰札しました。

帰宅後、母の見舞いに参りました。

夜は、中央区軟式少年野球連盟の納会に出席し、乾杯の音頭をとりました。

 

12月1日、事務所へ出て書類整理、一般質問の原稿づくり等

夜まで作業を致しました。

 

2日、朝、亡妻の月命日にて西本願寺にてお参り致しました。

母の見舞いに。昼前、議会にて来客対応、議員総会、13時本会議代表格質問

自民党八田道議が経ちました。

 

3日、特定秘密法案意見書案で、手続き的なことで民主党の時間的ロスがあり

一般質問が予定通り進みません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4日、午前中、議会が進まず午後から一般質問再開しました。

夕方、日越経済セミナーがベトナムフン大使をお迎えして、赤レンガで開催され、議員、理事者、関係企業など会場いっぱいに参集致しました。

辻経済部長、ベトナムフン大使からご挨拶を頂き、先日フォーチミンで開催された北海道IT関係とベトナムIT関係者との商談会などについての報告と日越友好北海道議員連盟の19名を代表して訪問報告を致しました。フン大使のはベトナム訪問に際し、政府高官との面談できめ細かいご配慮を頂きましたこと感謝を申し上げました。その後の懇親会なので、フン大使とこの交流を図りました。

 

5日、午前、午後と一般質問が動きません。

 

 

 

 

11時、ベトナムフン大使と北海道銀行堰八頭取との会談に中島名誉領事、議連釣部会長と私、笠井事務局次長が立ち会いました。

ベトナムフン大使からベトナムの金融状況などの報告があり、道内銀行進出を

促しておりそのため大使館として出来るだけ協力をするとのことです。

 

漸く、3時過ぎに一般質問が動き始まりました。私は今日の2番手です。

1、ウォ―キングロードについて

2、エゾシカの肉の家畜化について

3、極東ロシア地域の経済交流について

4、生涯学習の推進について

5、道立美術館について         

を知事並びに教育長に質問しました。

 

夜は、薄野ビルデング協会忘年会に出席し祝辞を申し上げました。

その後、道庁若手の会の「千葉会」に出席しました。

 

 


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  近況報告   平成25年10月下旬  

金曜日, 11月 01, 2013

 

 

 

 

  

札幌のシンボル藻岩山が黄金色の絨毯をひいたような鮮やかになって来ました。

青々した藻岩山が冬山に向かって準備を始めました。熊も冬眠に向かって準備を始めているのか?餌の変化があるのでしょうか、南区などに現れているようです。

 

 

14日、この度、団長川尻秀之道議、神戸典臣道議、釣部勲道議と私、道庁から経済部阿部次長、ユジノサハリンスク長谷川道事務所長と極東ロシア沿海州ウラジオストック、ハバロスク州ハバロスクを訪問致しました。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

  

 

ウラジオストックには未明に到着しました。午後からの予定が入っていますので、午前中はゆっくりしましたが、折角ですので2012APEC会場極東大学に、ウラジオストック駅、ウラジオストックフェリーターミナル、フェリーターミナル内にある鳥取県事務所を視察をしました。

 

 

  

 

 

 

午後、沿海地方議会を表敬を致しました。

ゴルチャコフ議長、タキエフ副議長、メジョノフ法規・倫理・事務委員会委員長他共通の話題は、共に発展していくことを願っていることを確認され、ウラジオ側は日本の農業、工業各団体とが連携してビジネスが行われていることに関心があった。また、北海道とは、帯広北斗病院と医療関係の連携が進んでいる。また、北海道のワインづくりに関心をして美味しいブドウが出来ている。沿海地方としても寒い地域で生産できることを確信しました。

双方がこれからも交流していくためにも、交通インフラが必要でありウラジオストックから航空便や海上航路を考えて頂けないかと要請しました。

 

  

  

 

 

  

 

 

 

 

 

 

次に同じ建物にある、沿海州地方政府を表敬を致しました。

スタリチコフ国際協力発展部長、ツリスキー産業交流部長、グロモーバー港湾部長等と

沿海州は、今月10月30~31日に日本を含め日本海知事会議を開催する、特に観光を中心にした協議になる。航空関係の法律を整備する3日間72時間ノービザで滞在できるようにしたい。カジノを設置する為マカオ企業を提携してホテル・ギャンブルの繁華街を作りたい。北海道企業とも話し合いをして行きたいと申され、私から地図を示し、北海道からみると、東京より近いウラジオストックであり、昔から長い交流があったもっと交流を促進することが必要だと力説した。ツリスキー産業交流部長もその通りで連携を密にしましょうと応えてくれた。

 

 

 

 

 

 

その後、大型スパーを視察しました。品物が溢れ日本スパーと変わらないです。

 

 

 

  

 

 

15日、朝、鷲巣展望台を視察し市内一望できます。そこの売店で男性店員の方は日本語が出来ます。凄いなと感じ買い物をしていました。ここだな「おもてなし」は言語が話せることが1丁目1番地でそれからだなと感じます。

 

 

 

 

 

 

駐日本総領事館を訪問し、伊藤総領事を訪問しました。

私から、日本の沿海州のアプローチはどのようになっているのかと尋ねました。鳥取、島根秋田、新潟など積極的に来ていること、北海道の知名度はまだ低く、鳥取県は官民挙げて沿海州に送り込む観光客誘致をしている。必死さを感じる。沿海州もカジノ、バレー劇場建設などを計画し観光産業に力を入れている。

北海道が何か沿海州に物産を送り込みたいとすれば、関係商社が売る気があるかないかでかわるでしょう。北海道が参入を考えているなら、すでに日本(地方から)参入してなく競合していない物品を進めたい、価格競合でたたき合いでは意味がない。

将来の沿海州はどのようになっていくかとも尋ねました。少子高齢化で人口減になっている。若い方々に夢や希望を持たせるために極東総合大学をつくり、就職しやすい環境と就職率を上げている。そして、工業発展、カジノ、バレー劇場など観光産業に力を入れている。その為のインフラ整備に5年位はかかるであろうとのこと。

日本海知事会議(日本、韓国、ロシア)で行われていますが、北海道は入っていないのですが、外務省の力をお借りできないかと尋ねたところ、北海道と極東3州との経済発展プログラムにも触れ、日本海知事会議との横の連絡が悪いと指摘されましたが、私から言うとそれは、全体像がわかる外務省、総領事館の仕事だろうと思いました。北海道はサハリン州との交流に力を注ぐべきとの印象を持ちました。

 

 そのあと、日本センター大石荘平所長を訪問しました。

所長曰く極東交流は、日本センターだけでなく、外務省、国土交通省、農林水産省が合体し組織改編をして取り組まないと難しさを痛感しているとのこと。

アムール河氾濫で対応策の不味さで極東発展省の大臣を兼任したイシャ―エフ副首相が更迭されました。その責任の在り方を明確にした一つの例であったとの見方を示してくれました。

 

昼食後、釣部議員、阿部次長はサハリン州政府へ面談のため飛行場へ

 

 

 

 

 

私たちは、ウラジオストック郊外にある整形病院の敷地にある、北斗病院画像健診センターを視察しました。帯広北斗病院と提携して有料健診センターであります。ロシア人スタッフと帯広北斗病院職員が3人常駐しています。健康診断機器は日本製スキャナー、MRIが整備されています。診断した翌日に診断結果を患者さんに知らせるシステムで、難しい患者さんの場合は、資料を帯広北斗病院に伝送し判断をもらうこととしています。

今注目の有料健診センターです。

 

夕方、ハバロスクに飛行機で向かいました。

到着は夜になりました。ホテル到着後、楽しみなロシア家庭料理のレストランへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16日、ハバロスク地方議会へ

モフチャン国家建設・地方自治問題常任委員長(女性)プドフキナ予算・税説副委員長(女性)等と面談致しました。

モフチャン国家建設・地方自治問題常任委員長からチャドフ議長がお会いする予定でしたが、急遽知事とアムール河災害復旧の打ち合わせが入り失礼しますとのこと。

偶然にも、ハバロスク地方議会女性議員、北海道側は男性議員となりました。

ハバロスク地方議会は26名の議員で政党代表13名、市民代表13名からなるとの事です。政党は、統一ロシア、共産党、自由民主党、公正ロシアの4つの政党からなり国政も同じ4党からなる。

常設委員会は、経済発展、予算、税金、法律、自治体の4委員会に分かれ議論している。との説明があった。

神戸議員から、アムール河氾濫で多くの方々にお見舞いを申し上げる。これまで作り上げて来た交流を今後とも築いていくには航空便が必要であり、2010年に出していただいた

定期便の復活をお願いしたいと申し上げました。

モフチャン国家建設・地方自治問題常任委員長は双方が真剣になって意識を持って成し遂げて行かなければなりませんと釘をさした。

 

 

 

 

 

  

 

その後、ハバロスク地方政府を訪問しました。

アレキサンダーシャボタ発展経済部長は北海道・極東3州の発展プログラムの成果は今の所ないが、農業分野には協力している。温室のブレジェクトを提案している。今後もインフラプロジェクト、ワキノ港への交通網、プレハブ住宅技術などがある。ただ、経済ばかりでなく人的交流を進めたいとも言い、貿易額は2010年から比べると30%減になっている。1年前に発展省が出来たが企業の減免などなど行うので日本の企業の投資をお願いしたい。双方に利益があるプレジェクトが必要である。

交通局長からはハバロスク州は、日本との直行便が興味がある。

成田増便、新潟便復活をすでに依頼をした。

ヤク―チャ航空とは意見交換は出来ると思う。

もし、定期便が飛ぶとしたら一機50人は乗らなければ採算が合わない。

アパレスシベリア航空ハバロスク支店長(東京、新潟、富山各支店長経験日本語話せる)からは、シベリア空港がある社長に北海道知事から書簡を送ってほしい。そうすれば、私たちの所へ調査しなさいの指示が来るはずだ。条件提示や、道が出来ることや、道ばかりでなく観光業者も入って協議を進めたいとのアドバイスがありました。

 

 15:00 ハバロスク日本センター山本博志所長と面談をしました。

ハバロスクは人口減少し、開拓途中であり、APECは確かに行って2兆円の国家予算が投入されましたがあとは、地元で資金調達をしなければならない状況です。木材が輸出の大きな要素ですが最高時の半分になっている。水産物も最高時の半分になっている。厳しい経済状況になっていると状況。

道銀のそば、小麦の生産はこれから増産を考えているようで、楽しみに見守って行きたい。状況説明を受けました。

 

 日本墓地にお参りに参りました。戦争で犠牲になられた日本人の墓地です。

線香は(平成23年2月に来札された際に安倍晋三衆議院議員から亡妻にと頂いた線香を持ち)とロウソクを供え御冥福をお祈りしました。

  

 

 その後、大型スパー、ロシア正教教会を視察しました。

 

  

 

 夜は、駐日本ハバロスク総領事館野口秀明総領事、深谷強領事と食事を共に懇談しました。野口総領事は1週間前に赴任され、ロシア課が長く北海道に何回も訪問しています。水産交渉をソ連時代若い時から行っています。深谷領事は札幌出身です。身近に感じてゆっくりロシア事情をいろいろ伺いました。

全ての予定を終了致しました。

 

17日、9:35分ハバロスク発成田着日本時間10時45分到着。15:30分成田発新千歳空港着で帰国致しました。

 

結びに

この度、団長川尻 秀之 ・ 神戸 典臣 ・ 釣部 勲 ・ 千葉 英守  

経済部次長 阿部 啓二 ・ サハリン事務所長 長谷川 浩幸と共にロシア極東沿海地方ウラジオストック、ハバロスク地方ハバロスク、サハリン州ユジノサハリンスクを訪問致しました。

すでに、北海道・極東3州との経済発展プログラムが5期目を迎え、本年11月に札幌で実務者協議が始まります。どんな話し合いになるのか興味があります。

少なくとも沿海地方ウラジオストック、ハバロスク地方ハバロスクには温度差があり、決して豊かになり得ていない地方では相手が北海道でなければならない要素はなく、資金や技術を提供してくれるところならば、中国、韓国、日本の他の地域でも良いのではないかと感じました。

むしろ北海道はサハリン州との交流を深めるべきとの声を感じ、北海道が目論むなか、極東ロシア3州は違う方向を向いていないか検証が必要であると感じました。また、北海道知事の本気度がどこまであるのか、定期便の誘致の情報も道の情報と違っていることがわかりました。

厳しい財政状況ではあるがもっと職員を派遣して情報把握につとめなければならない。世界グローバル化の中、努力したものが伸していく時代に突入しロシア経済が未成熟な現在、法的な確立が明確でないままの判断が難しいのは、わかるが、経済対外貿易・海外観光の主軸をどこに置くのか判断しなければならない時期は来ている。                                         

以上

 

18日、議会へ決算書面審査、理事者と意見交換

 

19日、自衛隊殉職者追悼式に議会を代表して参加し献花を捧げました。

北海道自衛隊発足し298人の方々が殉職者されております。救助に出掛事故に遭い亡くなられた方々の遺族などが参列致しました。殉職された皆さんのご冥福をお祈り致します。

 

 

  

 

20日、札幌市肢体福祉協会、札幌市中途難聴者福祉協会の合同文化祭に伺いました。

今年で31回目です。今年も作品展が展示されました。秀作ぞろいです。式が始まり、激励のご挨拶を致しました。

 

 

 

MOA美術館・札幌中央区児童作品展の表彰式に出席し、表彰とご挨拶をさせて頂きました。これまた秀作ばかりです。

 

平島家の1周忌にお参りに伺いました。

 

 

 

 

夜、北全調理師会の研修会懇親会に伺いました。

 

21日、議会へ書面審査。その後、北海道の危機管理上、国の機関に協力を頂き上からも普段からのコミニケーションが必要でありご挨拶廻りを総務委員長としております。

すでに、自衛隊北部方面隊、11旅団、警察札幌9署薄野交番をすでに行っております。

今日は、北海道開発局、気象庁、札幌消防局、海上保安庁第一管区(小樽市)北海道運輸局に伺い、危機管理上のご協力をお願いして参りました。

 

22日、午後から来客対応を議会で致しました。議会で書面審査。

夜は、世界の料理を食べる会に参加致しました。道の若手職員で今年2月にこの会を立ち上げました。札幌で世界の料理を食べれるのか毎月会を開き、情報収集しながらデーターを作り上げています。8回目になります。今月は南イタリア料理でした。道産小麦のパスタは最高でした。何ヶ国の料理が食べれるのかミステリーです。

 

23日、午前中、打ち合わせ、来客数組対応。議会へ書面審査。

夜、柳家紫文ライブ(都都逸)江戸の風流三味線弾き粋な言葉遊びです。

江戸の小粋な遊びに浸りました。たまにはいいかい息抜きも。

 

24日、昼、議会へ書面審査。

 

 

 

 

 

3時、第8回日本カジノサミットが小樽市で開催されました。

全国各地から関係者が集まり、基調講演、フォーラム、模擬カジノなど盛り上がりました。

野田聖子自民党総務会長衆議院議員も来樽し、知事、中村代議士等が来賓としてご挨拶されていました。IR法が今国会に提出されます。

 

 25日、山鼻ちば英守を囲む合同リクレーションが行って頂き、支笏湖へ行ってきました。

生憎の雨ですが、ホテルでお風呂に入り食事をして余興など皆さん盛り上げて頂き楽しかったです。後援会の皆さんといる時がほっと致します。元気を頂きます。頑張るぞ!

 

 夜は、池上グループ創立105年学園30周年高等学校10年記念パーティーに参加致しました。中学でついていけない子供たちを時間をかけて高校へ行かれるように指導して

多くの子供たちが大学や社会にでて頑張っています。公立ではできないことを実行してくれております。感謝です。

 

 

26日、党意見交換会、セミナーに参加。講師は大島前副総裁でした。

 

 

  

 

 

 

 

 

母の見舞いに伺い、小唄の会の発表会に招待を受けましたので拝見しに伺いました。

夜は、息子と久ぶりに夕食に出ました。

 

27日、ある団体の秋季例大祭に参拝に伺いました。

バドミントン日本リーグ2013札幌大会開会式に歓迎のご挨拶に伺いました。

JR北海道が今年は不参加です。誠に残念です。

夜は、20会例会に出席しまた。北海道小麦で作り上げたパスタを中国料理にするとどうなるか、楽しみです。

 

28日、午前中、船橋利実代議士女性部の集いに参加し祝辞を述べ、議会へ、午後から第3回高橋道政検証委員会に出席し夕方まで議論を続けました。

 

29日、朝、札幌市中央卸売市場関係者と懇談。議会で理事者と打ち合わせ

午後、来客対応、夜、日本中国料理協会・協賛商社交流会に出席しました。参加者による投票で青年部の料理コンクール決勝戦です。

 

30日、上京しました。

野田聖子衆議院議員自民党総務会長に来年度法制度に関する国への要望を提出しました。国会に上程される全ての法律が

1、「大規模・広域・複合災害等への対応の充実強化」

2、「エゾシカやトド等野生鳥獣被害対策の推進」

3、水資源の保全などに向けた取り組み促進等を、また、母子関係の法律改正など要望しました。早速、関係各省に検討させると約束して頂きました。

長谷川岳参議院議員とは新幹線札幌延伸に関わりの課題についてを議論。

船橋利実衆議院議員とは、クールジャパンについての施作についてを議論を致しました。

夜は、中国瀋陽市王東京事務所長と懇親を深めました。

 

31日、朝の便で帰札し。道議会で夕方まで打ち合わせ

夜、木林ヨシ子のお通夜にお参りに参りました。人情味あふれるお人柄で美味しい料理や漬物の名手でよくご馳走になりました。選挙の時も人からぬお世話になりました。

心からご冥福をお祈りいたします。


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近況報告  平成24年10月下旬

木曜日, 11月 01, 2012

 

 

 

 

 

  

 おかげ様で、25周年政治活動政経文化セミナーを終えて緊張感が和らいだのか、夜、ストーブを炊き始めています。寒くなってきたなと感じるようになりました。外へ出てふと気がつくと山々も色をかえはじめ街路樹が色づいてきました。

 

14日、日曜日、事務所に出て書類整理をしました。

ロシア行きの支度ですが、情報ではもうあちらは寒くなっているとか、厚着の下着が必要とかです。万全を期し十分な用意をして行ってきます。

 

15日、朝、道議会へ セミナーに於いて安倍総裁の警護をお願いしました札幌中央警察署、道警公安部にお礼のご挨拶に伺いました。

夜は、中国料理札幌支部賞味会と協力商社との懇談会に出席しました。

ホテルに納入する商社の一線営業マンと若手調理師との交流を行うことと、

若手調理師の作品コンテストを主眼にしています。最終5人の腕は皆素晴らしいです。来賓挨拶をして明日の出発が早いので途中で中座しました。

 

 16日、石狩湾新港極東ロシア地域ポートセールスに出発です。

朝、5時半起きて6時半自家用車で自宅を出発し、新千歳空港8時成田行きに乗り、午後2時10分ロシアハバロスク市へ時差は2時間早いです。

17年位前市議時代、姉妹都市ノボシビルスク市訪問の際一泊した以来です。

街並みは街路灯が明るく、車も多く走っています。都市成長をしています。

現地時間午後7時ハバロスク飛行場着、通訳さんが迎えに来てくれていました。

ホテル9時過ぎ到着、ホテルで夕食をとりました。

 

 

 

 

 

 

  

 

  

16日、朝、雨です。ニューオート社を訪問しました。主に日本から食品関係を輸入している業者です。女性社長でした。北海道のLL牛乳とお菓子に関心を寄せました。どの位の量LL牛乳が輸出出来るのかと商談になる始末です。

 

 

 

午後、ハバロスク日本センターで北海道主催の寒冷地技術商談会に道関係者と合流しました。その後喜多議長と内海議員と私3人がバロスク地方議会 ホフロフS.A.議長を表敬訪問しました。歓迎挨拶と共に、早速ホフロフ議長から質問があり3点ありました。

1、北海道の開発に関わり国の役割、地方の役割はどうだったのか教えて欲しい。 

2、農業政策で農家に対する支援はどのようになっているのか。 

3、酪農生産は日本の何%生産しているのか、生産者に対する支援はどのようなものか。

等質問があり、喜多議長から訪問挨拶を兼ねて答弁をすることになりました。

極東開発省が今年発足し国が力を入れ出しています地域開発です。

ホフロフ議長は現在州議会の2期目をつとめ、知事候補の一人とされている実力者です。今後、交流を深め互いの互恵を強めて行きましょうと30分間の会談が終わりましたが、ホフロフ議長は雪が降ったら是非北海道訪問したい旨のお話がありましたので、訪問を歓迎すると喜多議長から固い握手を致しました。

 

 

 

少し時間が出来ましたので、私からの提案で、日本人墓地にお参りに伺いました。ハバロスク市で戦前、戦時中、戦後に亡くなられた方々の墓標に線香とロウソクを立て、石狩湾新港組合関係者全員焼香をさせて頂きました。

この墓地に来たのは、市議時代に1度お参りに伺いました。

 

 

 

午後6時から、日本駐ハバロスク総領事館を道副知事、議長、道庁関係者と訪問し・・・・総領事と夕食を頂きながら懇談致しました。極東ロシア事情をご説明頂きました。極東開発省の

ことや、政治状況、日本企業の進出など全般事情をお聞きしました。

 

午後9時にシベリア鉄道に乗り、一路ウラジオストックへ向かいました。

夜中に鉄道は揺れ、鈍感な私でも起きてしまいました。

 

  

 

 

 

 

朝8時、まだ薄暗いウラジオストック駅に着きました。早速ホテルにチェクインをして朝食とシャワーを浴び、着替えて一服したのちに、

 

 

 

三井物産ウラジオストック支店を訪問しました。支店長と・・・が対応して頂き、物流関係などお話を伺いました。

 

 

 

 

 

  

昼食後、極東物流大手フェスコ社を訪問しました。社長以下幹部が対応してくれました。北海道のLL牛乳に関心がありコンテナ1台分が確保されればいくらでも運びます。税関関係はわが社で責任もってやって行くとのことでした。

どこで話していてもやはり札幌市はわかっても石狩湾新港がよく知られていません。根気よく説明し、北海道の物流は数時間で石狩湾新港に集積が出来ることも必死で説明しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しの時間で、大型スパーを視察致しました。物が豊富であり日本の食生活とは違いますが、サケのトバ、チーズ、駄菓子、ハム、冷凍食品、ウオッカ酒、ビール、ワインなど似通ったものがあります。

 

 

 夜、6時から日本駐ウラジオストック・・・総領事を道副知事、議長、道庁関係者と共に訪問しました。食事を頂きながら、ハバロスク州と沿海州(ウラジオストック)との関係など伺いました。

日本からの貿易・経済活動は、北海道が遅れていることも指摘され、他県と競合しないものをセールスしたほうが良いとアドバイスを受けました。

 

 

 

 

 

  

19日、朝、日本センターで日野自動車駐在者とお会いしました。ロシア経済に明るく、いろいろ説明を受けました。ロシアに日本投資が進まないことなど聞いている話をぶつけてみました。アジアに極東投資をお願いする前に、ロシアの資本家は外国に口座を持っており、それを引き上げてロシアの為に運用すべきと指摘していました。そこから始まるでしょうと印象的でした。

 

 

 

 

昼食後、昨日のフェスコ社子会社ウラジオストック商業港を訪問しました。

専務クラスの方はじめスタッフの皆さんが待っていてくれました。

説明を受けたのち商業港視察を致しました。自動車運搬列車の基地など拝見しました。一切の写真撮りは許されません。最後に一枚の記念写真が許されました。でも親切な対応で有難かったです。

 

返り道交通ラッシュで動けず、コンビニのような小さなスパーにも寄りました。お菓子類で日本製品もいくつもありました。ところ処にパックなどして食の安心・安全は気を付けているような気がします。

 

 極東訪問最後の夕食は、日本食レストランがあると聞きましたので、ホテル近くの日本料理専門店に入りました。経営者はロシア人で料理人です。コース料理を注文しますといきなり、うどんスープと味噌汁が出てきました。ロシア風の料理の出し方ですね。出し方を注文し、刺身、茶碗蒸し、てんぷら、寿司、うどんスープと味噌汁とデザートの順にとお願いしました。郷には言っては郷に従えとは言うものの、日本料理だけは日本の伝統に従ってと思いお願いしました。

 

 

 

20日、大手スパーに寄り視察し、お土産買い物をしてウラジオストック飛行場に向かいました。街からかなりあります。

イーゴロガイドさんとのお別れです。日本語が上手で一生懸命に我々の為に努力をしてくれました。ありがとうイーゴロさん。又、会いましょう。

成田空港経由で新千歳空港に到着し夜10時頃に自宅に帰ってきました。

今回の訪問で感じたことは、わずか800キロ、対岸にロシア極東地域があり、今まで北方四島返還運動もあり、サハリン州ユジノサハリンスク市に道事務所を置き交流をしてきたものの、ハバロスク州、沿岸州とは経済交流の実績はあまりなく、「近くて遠い国」でした。すでに鳥取県、富山県、新潟県、山形県、青森県などがアプローチしており県産物を輸出しています。これからは北海道の特徴を生かし積極的に経済交流をして行きたいと思います。それには良いパートナーが必用です。ハバロスク総領事館、ウラジオストック総領事館もありますので指導のもと活用していきたいです。

 

 

21日、朝、第53回市民体育大会第23回少林寺拳法札幌大会開会式に400名の拳士が参集して主催者挨拶をいたしました。「青年よ大志を抱け」勇気と挑戦をもって何事も頑張ってほしいと願いを込めてお話を致しました。来賓として中国駐札幌主席領事張玉萍さんから祝辞を頂きました。

 

 

 

札幌フォークダンスクラブ64周年パーティーにて主催者挨拶を致しました。350名の参加でいつもより参加者が多い感じです。

 

  

 

陸上自衛隊北部方面隊60周年記念パーティーに出席し、岩田総監から心引き締まるお話をお聞きし自衛隊の皆さんが日々国民や海外支援に命がけで頑張ってくれていることに感謝して乾杯を致しました。

 

 

 

 

 

 

  

札幌市障害者福祉センターで第30回肢体障害者協会・中途難聴者福祉協会合同文化祭に2年ぶり開催に出席しました。昨年は体育館改修工事の為使えなく、リニュアルオープン後の開催になりました。

夜、定例会20日会に出席し、仲間と懇談しました。

 

22日、朝、北海道1区支部長選任(衆議院議員候補予定者)、道議、市議連絡会議で、船橋利実(としみつ)北見市選出道議が適任であるとの合意を得て25日の選考委員会に提案することに致しました。

事務所に戻り書類整理を致しました。

 

23日、朝から議会で自民党政調会で支援各団体の来年度要望をお聞き致しました。伊東道連会長先頭に関係議員が真摯に承りました。

午後、白石にあります厚生会理事会に出席、理事者からの提案をお聞きし賛同致しました。

 

夕方、中標津町へ新千歳空港から飛びました。中司哲雄道議のお父さんが亡くなりお通夜にお参りに行きました。中司道議のお父さんは地域の名士であり、戦後、中標津を酪農地帯にするために努力を惜しむことなく働いてきた人です。

中司哲雄道議に経営権を譲ったあとは、老人クラブの会長はじめ地域に貢献を続けて参りました。会場一杯の多くの参拝者が詰めかけました。

いろいろな地域のお通夜に参りましたが、地域でお通夜の時間が変わります、中標津は酪農地帯で夕方から乳牛の乳搾りを終えた時間、午後7時半からのお通夜になります。

 

24日、朝一便で返り、支笏湖丸駒温泉で山鼻後援会・身体障害者山鼻分会合同で毎年行われております「ちば英守を囲む合同リクレーション」に合流しました。晴れました。支笏湖がはっきり窓辺から見えます。忙しい毎日でしたので後援会の皆さんといる時がホットするときです。

 

25日、朝から事務所で打ち合わせのち、議会で政調会団体要望会に出席し、衆議院1区支部長選考委員会に出席、道議、市議連絡会議で、船橋利実(としみつ)北見市選出道議が適任であるとの合意を得て25日の選考委員会に提案しました。満場一致で賛同得られ、船橋利実道議からお礼と決意のご挨拶があり記者会見に臨み、私達道議も立ち会いました。

午後は、議会へ戻り道連と29日党本部河村建夫選対委員長に面談し船橋道議1区支部長願いを出すうち合わせをしました。

夜は、例会ダスト会に出席しました。

 

26日、午前中、啓明地区のファミリーレストランでお茶を飲みながら久しぶりに元ローヤルホテル社長 藤江さんと懇談しました。社会情勢、政局、衆議院議員選挙、市長選挙等、近況報告もかねて意義あるお話を伺いました。

藤江さんとは長いお付き合いですが、特に道議になってから観光政策を教えて頂いた方です。

 

夜は、石狩地方議会連絡協議会懇親会、と続けてバドミントン竹村純選手(JR北海道)の第55回全日本社会人大会優勝を祝う会に出席しました。北海道選手で歴代全国優勝は初めての偉業です。5月にも埼玉で行われたランキングサーキットでも優勝しました。努力と栄誉に敬意を表します。11月の日本リーグチーム優勝を願っています。

 

27日、陸上自衛隊北部方面戦車射撃競技会が北恵庭駐屯地で行われ、初めて視察を致しました。各駐屯地の精鋭9チームの戦車部隊が集合し5分間の戦車からの射撃競技が行われます。この競技に1年間かけて血の滲むような厳しい射撃訓練をします。岩田総監から説明を受け3チームの射撃競技を拝見し、命がけの射撃競技に感動しました。隊内で昼食を代金を払って自衛隊員と同じものを頂きました。

 

夜は、YPG(山鼻パークゴルフクラブ)納会に出席しました。なかなかプレー大会に出席できませんが1年間ご苦労様でした。

 

28日、朝、団体の大祭があり参拝致しました。

夜、北全調全道調理師研修大会懇親会に出席しました。

その後、新千歳空港に向かい上京致しました。

 

 

 

29日、朝、第1区支部長に船橋利実道議を推薦すべく、党本部面談に伺いました。党は石破幹事長、菅幹事長代行、河村選挙対策局長が面接をうけました。

1区は船橋利実道議、私です。道連から伊東会長、岩本幹事長が面接に立ち会い、選考過程について私から説明をしました。党からは広く党員にアピールすることを考えて欲しいとの要望がでました。

そのあと、安倍総裁室で安倍総裁、石破幹事長、河村選挙対策局長らと記念写真を撮りました。安倍総裁には私のセミナー出席のお礼を申し上げました。

 

その後、第1区支部長船橋利実と道議道内選出の国会議員の部屋にあいさつ回りをいたしました。 

 

最後に安倍事務所に伺ったところ、安倍総裁が戻られており、短時間でしたがお話も出来励ましてくれました。そこで散会しました。

 

 

瀋陽市日本経済事務所を訪問しました。王晶瑩所長と懇談しました。積極的に日本企業とのパイプづくりに勢力的に努力しているとのことです。

 

30日、朝、参議院議員長谷川岳事務所を訪問し、長谷川岳参議と1時間懇談しました。昼の飛行機で帰札致しました。

夜は、後援会幹部ご夫妻が夕食にお誘いを頂いておりましたので遠慮なくご馳走に伺いました。心のこもった美味しい家庭料理でした。ご馳走様でした。

ありがとうございました。

 

 

  

31日、石狩湾新港管理組合議会第3回定例会の開会日です。1日間の会期ですが、石狩湾新港の23年度決算についての議論でした。またLNG(天然ガス)輸入タンカー入港の報告、ロシア極東ポートセールスの報告がありました。

昼、第1区支部長船橋利実を市議会に挨拶に同行しました。

夜は、「ありがとう・ご苦労さんの集い」障害をお持ちの方々が自立更生をされた方々に市長表彰・身障協会長表彰、障害者の皆さんを応援してきた方がに感謝状をお送る会です。毎年祝辞と感謝の言葉を述べております。


posted by 千葉英守   |    0 comments