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近況報告  平成24年8月下旬

月曜日, 9月 03, 2012

 

 

 

 

我が家では、新盆になります。

しかし、ゆっくりもできなく、14日は、後援会会員の物故者に対してお宅を訪問し線香をあげさせて頂きました。家族を失う寂しさを共有させて頂きご遺族ともお話をさせて頂いておりました。

 

夜は、息子の運転で、盆踊り会場を数か所廻り会場にいらしている皆さんに声をかけました。

 

15日は、自宅で、お参りに来て下さる数組の後援者をお迎えしました。

午後、日本画家 東山魁夷 展を息子と道近代美術館に行き拝見しました。

素晴らしい名画ばかりです。感動・感動です。後半展示が変わりますので、是非拝見したいです。

 

明日から瀋陽市訪問ですので、旅支度をしました。亡妻がすべて整いてくれたので安心していましたが、自分で整えるのは大変で、亡妻に感謝でいっぱいです。夜寝る前に身体の震を感じました。風邪をひいたかもしれません。

 

17日、早朝、息子の運転で新千歳空港へ、名古屋経由で瀋陽市へ向かいました。2時半(日本時間3時半)頃瀋陽空港着、入国、税関を通過しロビーへ、瀋陽外事弁公室のスタッフが迎えに来てくれておりました。来年中国体育大会が開かられるとあって、空港ターミナルの増設、地下鉄工事などで空港周辺は車の渋滞で抜けるのに30分くらいかかりました。市内に入っても都市改造が進み中小路は工事ラッシュです。漸く、ホテルに着きました。

 

 

 

 

  

18日、朝9時に中山公園で開催される、2012中国瀋陽国際旅行博覧会開会式場に到着。早速、主催者の一人、瀋陽市旅遊局長 柳さんと再会し、この度の様々な手厚い行為に感謝を述べました。10時開会式、舞台に北海道を代表して私と道観光局長が紹介されました。24か国参加で初めての参加の北海道でしたが、地域は北海道が舞台に上げて頂き、それも各国の大使か政府代表に限られていた紹介でした。長年の柳局長とのご縁を大切にしていたおかげです。瀋陽市のホームページにも大きく紹介されました。

 

開会式が終わり、各国ブースを主催者の案内でみて回りました。我が北海道ブースでは、北海道紹介パンフレットをスタッフ全員でお客様にお配り致しました。反応はまずまずです。手応えを感じました。

 

 

 

 

  

 

昼は、瀋陽市政府沙副市長の昼食会で、各国代表者がメインの丸テーブルを囲みました。

私の隣に女性でお座りにインド政府デーパラスカー代表者でした。右隣が新疆塔城市副市長 張影さんです。通訳を通じて話をさせて頂きました。

また、沙副市長、遼寧省応中元旅遊副局長、マレーシャ政府代表、カメルーン駐中国大使とも話をさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

午後、各国観光プレゼンテーションを行いました。瀋陽市観光、マレーシャ観光、カメルーン観光、韓国観光、アメリカ観光、ロシア観光、北海道観光などが紹介されました。

 

夜は、瀋陽市旅遊局長柳さんの招待夕食会です。忙しい中大変恐縮しています。

長年の友人として迎えてくれました。昔話やこれからの観光のあり方など意見交換を交え楽しい夕食会でした。

 

19日、風邪でダウンです。夜まで寝ていました。夏風邪は治りにくいです。

夜は、瀋陽市政府代表団として北海道訪問をされました、外事弁公室高副主任はじめ関税、入国、旅行業者、航空関係者の返礼夕食会を開いて下さいました。3回目の面識があり気心も知れ、本当に楽しい夕食会になりました。

 

 

 

 

 

   

20日、10時南方航空北方支社へ、急遽人事異動があり、懸案事項が発生したのでお会い出来ないとの連絡でしたが、名刺とお土産を持ち、武田建設部長ら道庁の幹部と私が航空便再延長をお願いに伺いました。若い職員が対応してくれましたが、大変申し訳ない事態でお詫び申し上げますと述べておりました。

 

周総経理が本社副社長にご就任されたこと嬉しく思います。昨年12月29日札幌で会談をしました。私からも是非直行便の復活を要請しました。彼はそのために私は札幌に来たのですと言い切りました。5月には直行便の復活を決定しました。

 

昼は、東北料理で有名な老辺餃子を頂きました。店の崔会長が海外出張で王鵬経理(専務)に挨拶を致しました。美味しいです。

 

 

 

 

 

 

午後は、在瀋陽日本大使館を訪問致しました。異常なほどの周辺警備でした。

田尻和宏総領事と吉池直樹領事と面談致しました。

私から、この度、遼寧省旅行業者がビザ発行で違反があり、それに綱なる業者も業務停止と聞いたけれど、どのようなことか尋ねました。直行便を10便チャタ―とした。黄輝旅行社も巻き込まれてしまいました。規制緩和が必要な今、

国策である「ビジェットジャパン」はどこに行ったのか?主犯格ならわかるが

知らないで巻き込まれた旅行会社はどうなるのか。外務省や法務省に再考を願いたいです。と申し上げておきました。

 

 

夕方、5時瀋陽市政府迎賓館を訪問し、黄副市長、方外事弁公室主任はじめ幹部。南方航空北方支社関係者、李暁春黄輝旅行社長などで会談夕食会を開いて頂きました。前回より和やかで目的を一応果たしたこともありましたが、しかし、今後まだ再延長をお願いしました。様々な課題があることもわかりました。

約2時間の会談夕食会でした。

 

 

 

 

 

21日、朝、遼寧省(県)の招待で撫順市を訪問致しました。炭鉱の町です。夕張市と友好都市です。瀋陽市から約1時間くらいです。最初に最近建設された炭鉱博物館を視察しました。博物館から露天掘りの炭鉱が見えます。炭鉱は100年の歴史があり露天掘りが主流です。

 

 

  

 

 

その後、瀋陽市と撫順市の間に瀋撫新都市管理員会の案内で、新しい都市計画の進捗を拝見しました。大きなシンボル和を基調とした世界一のモニュメントが街の中心にあります。住宅・工場・金融街・商業地域と組み合わせております。

 

 

 

  

撫順市政府・人民大会副主任招待昼食会に招かれました。李東昌人民大会副主任(副議長)が歓迎のご挨拶頂きました。穏やかな人柄で偉人の風格、周恩来的な政治家を見ました。議会議員、外事弁公室の皆さんでゆっくり食事を頂きました。東北人の心和ませるひと時を過ごしました。

 

 

 

 

 

  

その後、岡山県倉敷市に本社があり、撫順市に合弁会社をつく日本向けの建設足袋、長靴、手袋、作業着、機械工作用のゴム製品を作り、日本の60%のシェーアを持ちそのうち80%が撫順市からの輸出だとか。撫順萬泰實業有限会社霜山社長の案内を頂きました。働いている人々は中国人で日本語を話せる社員が多く時々社員に現場のことを説明しなさいと我々に説明頂きました。

 

 

 

 

  

 

夜は、遼寧省迎賓館で素晴らしい建物で要人が会談する場所で外事弁公室の孫大剛副主任、李向栄処長、崔副処長、人民大会代表者の皆さんと会談会食が出来ました。今回は遼寧省外事弁公室とパイプを繋げることも仕事の一つです。孫大剛副主任、李向栄処長、崔副処長は日本語がべらべらで日本人と間違えられるくらい素晴らしい日本語を使います。

遼寧省を北海道の方が訪問されたのは3年ぶりですと、皮肉にも聞こえる歓迎を受けました。これからもっと相応行き来をしましょうその為にも直行便が必要ですと合意しました。スマートな宴会で酒をそんなに呑まなくても雰囲気なお洒落な宴会でした。風邪をひいている私には大歓迎です。

今回の瀋陽は、国際旅行博は北海道をアピールすることで成功し、直行便は、北海道だけではどうにもならない法の壁がありました。方法を考えます。

遼寧省とのパイプは繋げました。省長である陳政高氏は過去2度瀋陽市長時代お会いしています。次回が楽しみです。

 

22日、朝、瀋陽外事弁公室の皆さんが送りに来て下さり瀋陽空港を飛び立ち関西国際空港を経て帰札致しました。長く短い責任ある瀋陽の旅でした。

 

23日、24日と人間ドッグに入りました。いささか身体も風邪のためか、くたびれていましたので丁度良かったです。検査の結果異常なしで肝臓の指数が少し高いのは風邪のせいでしょうとのこと。

 

 

 

24日の夕方は来年参議院議員選挙比例も地方区もありますが、候補予定(比例区)の看護連盟推薦の石田昌弘氏がご挨拶にみえました。東大卒、看護師・保健師として現場で働き問題意識をもって活躍、前日本看護連盟幹事長です。頑張ってほしいです。

 

夜は、札幌少林寺拳法連盟に皆さんとジンギスカンを食べながら懇談、先日の全道大会の反省を込めえご苦労さん会を致しました。2年ぶりでしたが本当に皆さん持ち場をしっかり守り頑張ってくれました。

 

 

 

 

  

 

 

25日、朝、新千歳空港へ、明日行われる陸上自衛隊富士学校総合火力演習会に防衛省から招待を受け、道議会防衛議員連盟の役員で視察に伺いました。

静岡県御殿場にあります富士学校です。その中に開発実験団があり我々をサポートして下さり、藤本団長ほか幹部と夜懇親を深めました。普段聞けない話をお聞き出来ました。自衛隊のご苦労は半端ではありません。富士学校は幹部の登竜門で1度か2度は高度の訓練を受けに来ます。レンジャー部隊もあります。

飲まず食わずの訓練は凄いとも聞きます。富士山麓は厳しい訓練場所でもあります。

 

26日、8時、陸上自衛隊富士学校総合火力演習会場へ続々と見学者が来ています。3万人くらいと思われます。

防衛大臣、統幕幕僚長、富士学校長が到着。演習が始まりました。富士山麓にある目標値が次々と戦車砲で打ち上げられ、見事な命中です。10キロ離れた

西方からも戦車砲で打ち上げられ見事な命中です。日頃の訓練に耐えて頑張っている隊員をほめてあげたいです。ただ戦車砲が故障で打てない戦車がいて、

砲撃辞めの命令が下ったチームは残念だったでしょう。

最後に日本のある島に敵陣が上陸する予想で訓練をしました。航空自衛隊の戦闘機が出動し確認、海上自衛隊哨戒機で全体の流れを調査、陸上自衛隊ヘリコプターで島に隊員を常駐させる。戦車部隊が上陸し敵陣の基地を攻撃し鎮圧するストリーです。迫力満点で見事な連携です。何が起きても対応できる組織になっております。最高の技術力と戦闘能力を持っています。一度見てよかったです。

昼過ぎ、三島市へ出て新幹線で品川に出て羽田空港へ4時新千歳行に乗り、6時半時過ぎ帰宅しました。

 

27日、10時、十勝管内会議所・商工会の要望書を自民党議員会として受けました。十勝の経済・観光振興を主に要望頂きました。地元の大谷道議にも立ち会って頂き懇談させて頂きました。暑い中ご苦労様でした。

 

28日、朝9時新千歳空港から東京です。ある団体の研修会です。全国から県市町村議員が集まります。認定NPO法人JEN理事・事務局長 木山啓子さんの講演を聞きました。世界の難民のいる場所は積極的に応援に入るアフガニスタン、イラク、ハイチ、南スーダンの衛生管理を中心に自立できる応援をして来ました。また、3・11の東日本大震災にも応援に入りました。

 

29日は、議員が4、5人で懇談会を開きました。北海道のエネルギー問題や福井の原子力政策について、新潟の原発のあり方、議員としてやる仕事とか、議員定数のあり方、国会議員選挙制度の在り方など2時間議論をしました。

地域にはいろいろな課題があります。参加して良かったです。

夕方の飛行機で帰札しました。

 

30日、朝、9時レデースバトミントンライラックオープン開会式です。

札幌、室蘭、苫小牧、江別、岩見沢の選手達が集い戦いました。皆汗をかき練習をしています。頑張れレデースバトミントン!

10時事務所で来客が続きます。

 

31日、朝から事務所に出て、書類が溜り整理を致しました。来客数組が来所され懇談を致しました。


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近況報告 平成24年5月下旬

土曜日, 6月 02, 2012

 

 

 

 

札幌ライラック祭りの季節です。春らしくなってきました。

今年の夏の電力需要は北海道電力は最大ー7%位と考え、道民に節電をお願いする旨、高橋はるみ知事に申し入れを致しましたが道民の知恵で乗りきるでしょう。具体的に節電効果の上がる施策が必要になります。

 

 

 

 

  

 

16日から、ロシアサハリン州ユジノサハリンスク市(旧樺太)を議会訪問団として渡航致しました。

1989年(平成元年)ころから交流が始まり、2000年(平成12年)道議会とサハリン州議会との相互交流による訪問よる「道議会とサハリン州議会の協力に関する協定書が調印されて本格的交流が行なわれて来ています。

 

私は、4年前(2008年)に訪問しておりますのでこの度2度目の訪問になります。喜多議長を団長とする議員9名と議会事務局4人と通訳1名の15名の訪問団です。

 

新千歳空港13時10分発サハリン航空で飛び立ち離陸からユジノサハリンスク空港着陸まで僅か48分位です。東京より近い外国です。時差が+2時間です。ロシア時間で到着が16時過ぎでした。

こんなに近い外国とは道民も日本人方々は余り知られていないと思います。

ロシアに対して、未だ北方四島が返ってこない不信感も重なり近くて遠い国のイメージであること等がそうさせているのでしょう。

入国を済ませ、ホテルに入りました。

  

17日は、朝からハードスケジュールです。2時間の時差は結構応えます。9時出発は日本時間の7時発です。

 

 

 

 

 

9時10分 在ユジノサハリンスク日本国総領事館小池孝行総領事を表敬訪問

最近のサハリン州の事情をお聞き致し、同じビルにある北海道サハリン事務所を訪問し、異例ですが多忙なホロシャビン・サハリン州知事を表敬しました。

サハリン州の課題についてお聞きしました。特に経済関係はもとより医療・ゴミ問題などお話頂きました。札幌のロシア総領事館に勤務をされたロシア連邦外務省ユジノサハリンスク代表部・・・・代表を表敬訪問しました。

 

昼食後、北海道銀行ユジノサハリンスク駐在員事務所三上訓人所長を訪問し北海道との貿易関係をお聞き致しました。

 

 

 

 

 

 

その後、サハリン州議会を訪問ヱフレーモフ州議会議長はじめ議員の方々と懇談しました。喜多議長は、物金だけでなく隣近所協力出来ることは互いにして

両地域が発展できるようにしましょうとサハリン州と北海道の今後の協力関係を訴えました。

それに応えてヱフレーモフ州議会議長も北海道には何度も訪問して素晴らしい地域と思っています。北海道の高度な技術など教えてほしいと話し合いをしました。

 

 

 

 

 

サハリン州郷土博物館も視察しました。戦前は日本の博物館でした。

サハリン州の歴史、自然、動物、昔の各民族の生活の様子、日本時代の生活の様子。国境の石など興味深い展示品を拝見しました。

 

         

  

 

 

  

 

 

 

 

 

  

夜は19時からサハリン州議会招待の夕食会です。

今回の訪問団で唯一の女性議員広田まゆみ議員が和服で参加してくれました。

心配りに感謝です。そしてロシア語の歌を披露してくれ和やかな雰囲気になりました。約2時間楽しい交流会出した。

 

 

 

 

 

  

18日、朝、9時ホテル出発、バスでコルサコフ市に向かいます。

市内を通り抜け、海岸線に液化天然ガス工場を視察所謂、サハリン2からパイプラインで運ばれてきたガス・石油製品にするための工場です。

日本に60%のサハリン州議会と石油が22%を輸出しています。12月には石狩湾新港の北ガス液化天然ガス基地に入ります。

 

 

 

 

 

 

  

日本が日露戦争時代に上陸した小高い丘に登りました。碑が建っていますが倒れていました。歴史の足跡です。

 

 

 

郊外レストランで昼食後、ユジノサハリンスク市に戻りました。

 

 

 

 

ソホーズチェプリチヌイ農場を視察しました。LNG(液化天然ガス)のエネルギーを使ってハウスでキュウリ、トマト等を大規模で作っています。

4年前にも伺いましたが、更に大きくして効率をよく生産性を上げています。

 

夕方、サハリン州立病院を訪問しました。院長が出張のため副院長が説明してくれました。

 

 

 

 

 

 

夜は、北海道人会の5人の方々と食事をしました。戦後、何かの理由で帰国できなかった方々です。北海道人会102名いらっしゃいます。大変なご苦労された話を聞いて、涙がボロボロ流れてきました。戦後は終わっていないと思いました。何んらかの支援が必要です。何が出来るか考えています。

そして、ホテルのレストランでロシアの若者と代表5名と私達がバンドに合わせて明るく踊りました。これが現実の姿かと心に思いながら踊りました。

今回、強い印象を抱きました。再会を誓いお別れしました。

 

 

 

 

  

 

19日、朝、飛行場に向う途中にある、大きなショピングセンター(シティーモール)昨年北海道物産展を行いました所を視察しました。

北広島や千歳にあるシティーモールよりいささか小さいですが、立派なものです。有名ブランドや、車製品、電気製品(殆ど韓国産が8割、日本製品は1割、アメリカ製品1割)日用品です。豊かさを感じさせます。

昼食をそこで食べて、飛行場へ向い、土曜日にもかかわらず日本総領事はじめ領事の皆さん送りに来て下さいました。

本当に多くの皆さんにお世話になり無事帰国出来ました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

  

20日、全道中学生少林寺拳法大会が野幌体育館で行われ大会長として挨拶に伺いました。今年から中学生1年2年生が体育の必修科目になっておりますが、柔道、剣道が主になっています。武道とはなんだの基本は少林寺拳法にあると信じています。道の教育委員会の担当課長に来ていただいて、素晴らしい中学生の大会を視察頂きご挨拶を頂きました。

 

午後、北海道治療師会の総会に出席しました。

 

21日、午前中、事務所へ出ました、留守の間の書類整理をし来客対応をしました。

夜は、北全調(北海道全調理師会)の総会懇親会に出ました。

N,ブリーズ総会懇親会に出席。

 

22日、午前中、お世話になった後援会の齋藤さんの告別式にお参りに伺いました。寂しい限りです。ご冥福をお祈りします。

議会へ出て理事者と打ち合わせ。

 

23日、午前、午後と後援会の事務打ち合わせ。

夜は、北海道教育文化協会の総会、札幌市体育協会で関係団体と新中央体育館構想のあり方について意見交換を致しました。各団体からかなりの不満がでました。各団体が取りまとめて、札幌市体育協会を通じて要望していくことになりました。

 

24日、事務所と議会で打ち合わせをしました。

 

 

午後は更正保護施設大化院の理事会、夜は、北海道宅建協会公益法人になった祝賀会に出席。 

 

  

25日、午後、福祉法人厚生会の総会に出席しました。

夜は、札幌市調理師団体連合会総会・懇親会に、北海道消防設備協会の総会・懇親会、札幌製麺協同組合総会・懇親会に出席業界の話を聞きました。

 

 

 

 

 

 

26日、自民党札連総会、セミナーに出席。札幌学園の総会。

 

  

 

27日、札幌市身体障害者福祉協会の総会に出席。

 

  

 

夜は、日本料理研究会総会懇親会、20日会とはしごです。

 

 

   

28日、女性部凛葉会総会懇親会を行なって頂きました。亡妻純子の黙祷から始めて頂き、思いである凛葉会の皆さんことを思い会場にきっと亡妻純子もいることでしょうと挨拶しました。

 

29日は、関係団体訪問成徳学園理事会に出席。

午後、友人が来訪してくれました。話が煮詰まってから皆さんに報告します。

夜は、慶愛会の総会懇親会に出席。

 

30日、事務所で打ち合わせ。

夜は、道庁の若手と懇談、高原副知事をゲストにお招きしました。

 

31日議会で打ち合わせ。

夜は、長谷川岳参議院議員の政経セミナーに出席して、北海道造園緑化建設業協会総会懇親会に出席しました。今月も終わりになりました。寒いですね。


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近況報告  平成23年11月上旬

土曜日, 11月 19, 2011

  

 

 

 

 

 

11月と言うのに温かな日差しです。銀杏が真黄色になっています。今年もあと2ヶ月頑張らなければ!

11月中旬は、石狩湾新港が、国の日本海側港湾指定を受けれるかが大きな争点です。石狩湾新港管理組合あげて努力はしました。結果待ちです。

13日から中国瀋陽市に、新千歳空港の直行便復活をお願いに行きます。25日から第4回定例会が12月9日まで開かれます。今月は忙しくなります。

 

1日は、朝9時半、党の議員定数プロジェクトチーム(会長釣部道議)で議会定数協議会(私が座長)での進行状況など説明しました。10時、道連経済立て直し・財政再建プロジェクトチーム(会長船橋道議、幹事長は私です。)の初会合で、理事者から取り組み状況について報告を受けました今後、経済と財政と2チームの分け、自民党の提言をして行きたいと思います。

11時3役会、役員会と続き、12時、ホテルで議員総会「国会議員と地方議員の身分の違い」など法的に守られている立場と曖昧な地方議員の立場を認識し、今後の議会改革協で議論をするために勉強会を開きました。

13時一斉常任委員会開催しました。総合開発委員会は水資源確保の条例化の中間報告でした。

16時30分自民党道議会水産議連の勉強会をしました。その後水産業界と理事者の年1度の懇親会に出席。

夜は、札幌花園病院創立60周年の記念パーティーに出席しました、ご縁で祝辞を申し上げました。

 

2日、10時エネルギー特別委員会でした。北電がらみの質問が多く出ました。昼から、久しぶりに事務所で書類整理を致しました。事務所はやはりホットします。

 

3日、文化の日です。休日でも休めなくて、ある団体の秋の大祭が行われました。毎年参加しています。

 

4日、事務所で書類整理、来客とバタバタしました。

  

 5日、朝、第35回道央地区日本民踊大会が中央体育館で行われました。大会長として開会にあたりご挨拶を致しました。皆さんお元気で踊っています。

 

夜は、ある商店街の観風会に出席しお世話になっている方々と政治・経済・商店街のことなど懇談をさせて頂きました。

 

6日、藻岩会(高等盲学校・盲学校の卒業生や先生OBの皆さんの会)に招かれて総会・懇親会に参加致しました。視力障害者総合教育センターの期待は大きいです。

夜は、家内と毎年参加しています、シャンソン歌手 嶋保子さんのディナーショーに参加しました。毎年11月にディナーショーを行ないます。晩秋の夜長を楽しむ企画です。彼女はもう3年位前から癌と戦っています、今年は車椅子でのステージとなり、大丈夫かなと思いました。でも彼女の声はしっかり出ています。徐々に嶋保子のダイナミックさが出てきました。熱唱する彼女の姿に涙したのは私だけではありません。会場が盛り上がりました。そして、最後「来年も元気であったなら皆さんとステージで会いたいです。」「大丈夫だ頑張れ」「頑張って」の声が客席から出ました。

始まる前に嶋保子さんと廊下ですれ違い、別れていた息子さんを紹介して下さいました。20年前からお母さんの「追っかけしています」と名刺を差し出しました。息子さん「母がお世話になっています」と応えてくれました。母の車椅子を押す息子さんです。病魔と戦って来年も素晴らしいステージを見たいです。お客さんを送る彼女に、私は彼女に「大スター」だよ素晴らしかったと握手を求めました。

 

7日、朝、我が党の衆議院議員北海道第1選挙区の拡大役員会を開きました。

今後、勢力的に候補擁立をすることで話し合いが行われました。会議後、事務所に戻り地域が望んであります、要望書作りをして調整を図りました。夜は、知り合いと勉強会を兼ねて懇談致しました。

 

8日、暦の上では立冬です。地域要望で南警察署に打ち合わせに伺い、昼、議会で党政調会による「バックアップ拠点構想」の中間報告勉強会に参加し、意見も述べました。

その後、札幌市役所市民まちづくり局に地域要望の打ち合わせに伺いました。

夜は、札幌学園の理事会に出席し報告を受けましたが、順調に真駒内幼稚園、保育園が運営されています。理事として喜んでおります。大切な子供さん達をおあずかりしていますので職員のみなさん頑張ってくれております。よろしくお願いします。

更にその後、武部勤代議士政治活動25年、政治活動40年の記念パーティーに出席しました。武部勤代議士とは道議時代からですので長いお付き合いになります。

 

9日、事務所で書類整理をして、

夜は、昔、新聞記者をされ現在関連会社の社長と昔話をしながら一献傾けました。共にこの時代を生き抜く戦友のようなものです。

 

10日は、朝刊に国交省が兼ねてから計画していました、日本海側拠点港指定結果が出ました。石狩湾新港は、機能別拠点港に指定されることになりました。

一生懸命石狩湾新港管理組合の理事者の皆さんはじめ知事、建設部、関係団体、石狩市、小樽市、経済界と共に頑張った成果が出ました。まずはホットしました。正式発表は夜に知事に連絡が入ります。

 

 

 

朝、札幌レデースバドミントン団体戦のクラブ対抗戦の開会式に主催者として挨拶に伺いました。パワー溢れるママさん選手達です。

開会式を終え1時間ゲームを拝見して、議会で理事者と打ち合わせ、役員会と続きました。

夜は、道の理事者と保健福祉関係者と意見交換会を致しました。

 

11日、一日事務所で書類整理、来客、13日から中国瀋陽市、大連市を訪問するための準備を致しました。

夜は、訪問する方々との結団式を致しました。まだ、瀋陽市を訪問されていない方もいらっしゃるので体験談などお話させて頂きました。

 

 12日は、午後、防衛セミナーに参加致しました。講師の話は勉強になりました。世界情勢特にアジアを見る時に、沖縄で見るか、東京で見るか、ワシントンで見るかによって判断が違うと言う解説はなるほどと思いました。

 

13日、中国訪問、瀋陽市、大連市に出発しました。このチームは道の武田建設部長を団長に、建設部空港活性化推進室、経済部国際経済室、北海道空港企画と私、総勢6名での訪問です。その主たる目的は、北海道中国戦略のなかで東北3省の拠点である瀋陽市との定期便復活をするためであります。

1998年新千歳―瀋陽線が開通しました。当時北方航空でした

瀋陽市が影響力を持ちうる飛行機会社でしたが、1997年のことです。チャター便を飛ばし実績を積み上げることが大切とされ、私もチャター便を買い上げ故加藤亨先生が瀋陽栄誉市民ですのでご相談し団長にお願いして後援会の方々と瀋陽市を訪問致しました。今考えるとぞ~とします。若かったから出来たのでしょうか。

2007年一時運休をしましたが、2010年2月に瀋陽市訪問した時に、1998年札幌―瀋陽便就航を決意された元瀋陽市長張栄茂さんに来年は札幌市との友好提携が30周年になります、このままでは、これまで培った交流が薄れると思います是非直行便の復活をお願いしますと直訴しました。

張栄茂さんは、南方航空の瀋陽支社長を呼んで下さり、札幌―瀋陽便はその後、どのようになっているのかと尋ね、札幌との30周年もあるので検討していますと答えられましたが、張栄茂さんは、検討じゃ駄目だ、実行しなさいと指示をされ6月に決定されました。

実際は準備が遅れました8月11日に3年ぶりに瀋陽から札幌に飛び立ちました。その日、加藤亨先生が病床で亡くなりました。何かの縁だなと思います。

その間、瀋陽市政府の補助金1億円近く出されたお聞きしています、いろいろな方々が最大の努力をして頂いたと思います。

しかし、今年3月の東日本大震災の影響もあり急激に乗客数も減り、5月から運休となりました。

そこで、今年10月の第3回定例会で、道の中国戦略(行政交流、観光、経済、市民交流)を質し、知事総括まであげ、中国東北部戦略には瀋陽―札幌が不可欠であると論陣をはりました。

その後、直ぐに建設部空港活性化推進室が反応して、是非定期便復活要望に行きたいとのこと、瀋陽市との橋渡しをお願いするとのことで、13日出発となりました。

 

 

 

 14日、瀋陽市に事務所を置く、北海道銀行瀋陽出張所 正司毅事務所長を尋ね、瀋陽市の最近の状況や東北3省の様子をお聞き致しました。

その後、南方空港北方支社を訪問して、曹湜副支社長(前札幌支店長)ら幹部と定期便復活要望活動を致しました。曹湜副支社長曰く、是非札幌線は残したと思っていますが、現在の状況では乗客客数が少ないので無理です。道庁の補助金があれば飛ばすことは出来ますとのことです。流れが道庁の補助金ありきになって来たので、私から、まだまだ双方が努力(情報、施策の展開など)することをしっかりして行なっていかなければ駄目なので、双方頑張りましょうと流れを止めました。しかし、南方空港北方支社の札幌線の思いは痛く感じました。

 

 

瀋陽市 黄凱副市長ら副秘書長、外事弁公室、対外貿易経済合作局、旅遊局、瀋陽桃仙空港担当者、南方空港北方支社幹部と会談致しました。

黄凱副市長は、札幌・北海道の交流は大切である認識を示し、定期便の休止は誠に残念である、ここでも、三方一両損で、補助金を瀋陽市、北海道、南方空港北方支社で負担してはどうかと提案がありましたが、もう少し三方で考えることにしましょうと止めました。

 

 

その後、黄凱副市長招待の懇親会が始まりました。私は黄副市長とお会いするのは始めてでしたので人柄を知るためにもなるべく話しをしました。また横に座って頂いたのは外事弁公室主任の方向東さんで長年の友人で助かりました。そのお陰でいろいろ懇談出来ました。

懇親会の終わりに、私から一言話をさせて欲しいと申し上げました。

「直行便を復活させたい、双方の思いが分かりました。大変嬉しいです。札幌市と友好都市を31年間締結結び、それに多くの方々が努力されました。

かつて、双方が不孝な時代を経験された方々が札幌と瀋陽の子供達が二度と不幸な経験をしないようにと平和を願い友好締結をしました。この間、経済だけでなく、市民、教育、福祉、スポーツ、文化、交流など様々な交流がなされ必死にこの交流を守り育てて頂いた方々の思いを忘れてはならない、それを知っているのは、瀋陽市外事弁公室の皆さんです。経済環境だけで判断して言いものか、もう少し双方が様々検討して良い結果を出して行きたいので頑張って行くことをお願いしたい」と発言。拍手が起きた。

懇親会が終わり、瀋陽の友人が待っているからとパーティー会場へ行きました。

友人とは、1998年瀋陽―札幌の定期便を実現させた男であります。

彼も大変心配していて、幾つかの提案をしてくれました。

1、札幌から飛ぶ瀋陽便の座席15席位道で責任が持てないか。

2、瀋陽―ハルピンー札幌の新しい路線が確保出来ないか。

このことが出来るならば、新たな展開が出来るのではないかと話してくれました。

 

 

 

 

  

  

 

 

  

 

 

 

15日、朝、瀋陽市を出発、バスで高速道路を南下、約5時間を経て大連市に移動、北洋銀行大連出張所を訪問、山田英幸所長と面会し、大連経済、東北3省の状況について説明を受けました。その後、南方航空大連支社 王憲勃副部長ら幹部に、10月29日から札幌―大連線復活して頂いたお礼に伺いました。王憲勃副部長曰く、北洋銀行がいろいろ動いて頂いたお陰ですと言われておりました。夜も暮れ、我々だけの夕食会場へ向い「今日からが始まりでこれからが大変です頑張って行こう」と誓いの乾杯をしました。

 

16日、朝、6時過ぎホテルに出発、8時40分関西国際空港経由で新千歳空港へ到着。皆、ホッとして家路に向いました。

中国戦略は始まったばかりです。積極的に双方の情報交換をして受け身でなく積極的に攻めて行きたいと思います。


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近況報告  平成23年10月下旬

水曜日, 11月 02, 2011

小春日和が続きますが、又、曇りがちと正に秋の空です。

 

  

穏かな秋であってほしいですが、周辺は静けさの前の何んとかです。

北電の泊発電所3号機プルサーマルの「やらせ」問題で第3者委員会の報告がなされ、議会として、北電最高幹部を参考人として招聘していろいろお聞きするためのエネルギー特別委員会を26日に開くとなりましたが、最高幹部が出席しるかどうか水面下で調整されています。

TPP(環太平洋パートナーシップ)が11月中に参加するか参加しないか決めると野田総理は決断したようです。

それを受けて19日には高橋知事など関係者は上京して、農林水産大臣にTPPが施行されると北海道の農業は壊滅状態になるので慎重にと申し入れをしました。

 

17日は、24日に行ないます、ちば英守政経文化セミナー実行委員会の会合を開き当日の打ち合わせを致しました。役員の皆さんありがとうございます。

午後、議会に戻り理事者と勉強会の打ち合わせ。

 

18日は、ある地域の女性部バザーに家内と共に伺いました。

午後は事務所で書類整理です。

 

19日は、議会にて、党政務調査会主催の団体の24年度予算要望をお聞き致しました。伊東道連会長も出席し、真剣に各団体の現状を含め今後の対策などお聞き致しました。20日、21日、25日、26日まで行なわれます。

 

 

 

 

 

 

20日、朝9時、札幌市役所の1階ロビーで、22日から24日まで山口県で始まる全国障害者スポーツ大会の結団式に参加致しました。加藤保健福祉局長が激励の挨拶をされました。毎年応援団長として各地に応援に行っていますが、今年は残念ながら応援に山口県まで行かれなくて残念です。

24日の開会式をNHK教育テレビで見ました。写真はテレビから映しました。

議会に戻り、理事者と打ち合わせ、団体要望会に出席しました。

 

 

 

 

21日、朝から続く団体要望会に出席。夜は、お世話になりました、故数藤紘子さんの弔問に伺いました。

 

22日は、夜、友人の会社の10周年記念披露パーティーに伺いました。

苦節10年頑張りました。お客さまの時代ニーズに応え先取りした経営手腕は素晴らしいです。

 

23日、故数藤紘子さんの告別式に出席しお参りさせて頂きました。

札幌フォークダンス63周年記念パーティーに出席、会長として挨拶を致しました。その後、ある団体の秋の大祭に出席しました。

夜は、20会の会合に出ました。今期末で11月から新期になり49年目を迎えます。明日があるのでノンアルコールにしました。

 

 

 

 

 

 

   

24日、雨降りが続きましたが、朝起きましたら曇り空です。

「第7回ちば英守政経文化セミナー」の日です。連合後援会、支援企業団体の皆さんに多大なご協力を頂きまして、今年も行って頂きました。

今回は、昨年の講師参議院議員 佐藤正久先生にお願い致しました。今年は何んと言っても3・11東日本大震災がテーマになると思い夏に議員会館に伺い佐藤正久先生に誰か相応しい講師をご紹介頂きたいとお願い致しましたところ福島県出身で、自衛隊で危機管理を知り尽くしている、「ひげの隊長」です。

既に被災地に40回位入り、住民の思いや、直ぐやらなければならないことを、国会審議や、官邸に乗り込み直談判し被災地皆さんの立場になって発言行動して来た方であります。是非にお願い致しました。講演では、自衛隊員の苦悩に満ちた活躍など紹介され、又、「住民とのふれあい」等報道にならない部分をお話されました。

また、8月1日に、韓国に入国し、日本領土竹島の隣にある韓国領ウルルン島に渡り竹島の博物館に行き、あたかも竹島が韓国領であるかのような展示物を確認して、外交的に抗議をするつもりでいましたが、韓国政府危険が及んでは行けないと金浦空港で帰しました。

しかし、佐藤先生達に抗議ではなく、来年の韓国国会議員選挙のアピールのようでありましたとのことです。抗議文は全てハングル文字であります。それには佐藤正久先生達の計算がありました。韓国には日本との領土問題はないとされていましたが、内外のマスコミに領土問題があると知らしめたことであります。あっと言う間の1時間でした。

参加者の皆さんは感動の余り感涙を流されていた方が多かったです。今年も感動的なお話をご提供出来て良かったです。来年は議員活動25周年になります。

記念すべき政経文化セミナーにしたいと思っています。皆さんお楽しみに、まだ何も決まっていませんが。

 

25日は、朝から夕方まで党を支援して頂いている団体の来年度予算要望をお聞き致しました。

夜は、中国料理札幌支部の若手調理師さんの料理コンクールと協力商社若手営業との懇親会に顧問として招かれました。職場で中々話せないことも年1回交流と通じて情報を共有していこうとの事です。

 

26日、朝から党を支援して頂いている団体の来年度予算要望をお聞き致しました。午後から、エネルギー特別委員会で北電佐藤社長はじめ幹部を参考人招致して、泊3号機のシンポジュームの、「やらせ問題」について発言を求めました。

その中で

1、北電の第3者委員会の報告を受け入れること 

2、二度とこのようなことはしないこと 

3、関係者の処分をしたこと

4、コンプアイライスナドを進め透明性の会社にしたいと話されました。

我が会派から遠藤議員が質問に立ち、佐藤社長がエネルギー特別委員会に出席するとか、しないとか、公益企業として佐藤社長が全面に出て道議会へ出て道民に経過など説明すべきではないか質しました。佐藤社長は、電力供給にあたり、きめ細かくお話しのしたかったこと又、企業秘密もあるので非公開にお願いしたとのことでした。夕方6時頃までかかりました。

 

27日、午後、更正保護法人大化院の理事会に出席。

夕方から、毎年秋に行なわれる札幌市、札幌市身体障害者協会共催の「ありがとう・ごくろうさま」の集いに参加しました。長年身体に障害を持ちながらご苦労され自立された方々への表彰、その方々をボランテアで支えて来られた方々に表彰状・感謝状を送呈する会です。札幌市身体障害者協会常任顧問として祝辞を申し上げました。

 

28日、朝、石狩湾新港管理組合議会が開かれました。議長として議員懇談会を開き議会の流れについて相談し、高橋はるみ管理者出席のもと22年度決算を審議する議会を開会しました。

 

午後、JR北海道故中島社長のお別れ会にお参りにあがりました。午後1時からでしたので、1時に会場に伺いましたが列が出来ていて、約1時間並んでお参りが出来ました。多くの方々が別れを惜しんでいました。

 

29日、台湾に出張です。2009年台北札幌分処が設立されてからの約束で丹頂鶴を台北動物園に貸与して頂けないかと高橋はるみ知事に対して読売新聞内山顧問から台湾の意向を伝え、関係者と相談し、自然の丹頂鶴は持ち出しが出来ないが、釧路市国際鶴センターで孵化した丹頂鶴は運べるとのことで2年間の期間を掛けてオス、「ビック」、メス、「貴華」を貸し出す式に出席するためです。

 又、今年3・11の東日本大震災後、5月中に台湾立法院委員長王金平氏(国会議長)が国会議員、観光旅行業者300人を引き連れて風評被害にあっている北海道を訪問、全く何でもないと確信され観光客を今まで通り送りましょうと約束してくれました。その恩義があり道議会議員も行かなければ駄目だと思い参加しました。二泊三日の中一日の行事でした。そのことをご報告致します。

 

 

 

 

 

  

30日、朝10時より台北動物園で丹頂鶴「ビック」「貴華」の引渡し式を行いました。王金平委員長の歓迎のお話、高橋知事の台湾に対して様々なお礼のご挨拶。調印式等を経て、動物園の中で檻の中で「ビック」が散策している姿を見ました。

 

昼は、台北市長主催の昼食会に出席しました。

 

 午後は、新光三越でのJR北海道が行なった北海道観光キャンペン、料理研究家星野幸子さんの北海道料理講習会、日本物産展(殆ど北海道物産)を視察致しました。高橋知事も会場を廻りトップセールスをしていました。

 

 

 

 

 

 

 

夜は、北海道参加者400名全員の台湾立法院委員長王金平氏の歓迎レセプションを開いて下さいました。楽しく歓談をしました。私のテーブルは李復興国会議員、周番来立法院副秘書長、黄明朗外交部亞東関係協会秘書長等接待して頂きました。盛り上がり終了は9時になりました。

 

31日、6時45分ホテルを出発、9時半松山国際空港発で午後2時新千歳空港、時差1時間です。

台湾はこれまで2度訪問していますが、台北市は15年前と比べ成熟した都市になっている感じです。


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近況報告 平成23年8月下旬

金曜日, 9月 02, 2011

 

 

 

 

 

 

お盆が過ぎ、めっきり秋めいていました。あの暑さは何処へやらの感ですが国政政治も菅総理の退陣で、民主党代表選挙が行なわれますが果して誰がなるのでしょうか、どちらにしても短命内閣ではないかと思います。マニフェストの放棄、ネジレ国会、これでは国民生活、景気、雇用、何寄り東日本大震災の復旧復興が進みません。国民に信を問うべきで、もう一度解散総選挙をするべきです。

 

17日~20日まで、札幌市の友好都市である中国瀋陽市にフェンシング競技の交流試合で高校生・中学生総勢15名の選手団で訪問致しました。

この事業は、日本体育協会、北海道体育協会の主催で、主管は札幌市体育協会札幌フェンシング協会であります。

 

札幌=瀋陽直行便が休止しておりますので僅か3時間で行けるところ北京周りで瀋陽へは待ち時間を含めると約11時間位になるでしょうか大変苦労致します。飛行機が30分遅れて夜中の到着でしたが、瀋陽市体育局関係者、今回の交流学校瀋陽市軍事陸上運動学校瀋陽市体育中学 聞志平校長先生関係者の皆さんの熱烈歓迎を受けました。

ホテルで全員お夜食のうどんをご馳走になりました。中国では歓迎する時はうどんをご馳走する仕来りがあります。ホテルで寝たのが夜中の3時でした。

 

 

 

 

 

 

18日は、予定通り選手達は朝6時に起きて散歩を楽しみ、7時朝食をして9時20分ホテルを出発、10時瀋陽市軍事陸上運動学校瀋陽市体育中学体育館に到着。早速選手達は軽い運動をして、練習にはいります。本格試合は午後です。瀋陽の選手は中学生ですが、皆背が大きく強そうです。感心したのは、写真に載っているようにフェンシング専用の体育館です。

 

私、札幌市フェンシング協会名誉会長、札幌市フェンシング協会下野謹也札幌市体育協会土田隆幸次長と、瀋陽市側 聞志平校長先生関係者とスケジュールの打ち合わせ、今後の交流の進め方について協議を致しました。来年は瀋陽市側のフェンシング選手を受け入れることで合意。日時は来年8月10日から14日までとする。今後、射撃、アーチェリー、レスリング、柔道、武術、空手(テコンド)、フェンシュング競技なら聞校長の決断で出来るとのことでしたが、今後の種目については未定としました。会場に戻ると、熱気溢れていました。

 

 

 昼食をわざわざレストラン(焼肉)に連れて行ってくださり美味しく頂きました。

 

 

 

 

午後、体育館に戻り、開会式 記念品交換 試合開始。札幌市選手は押されぎみです。トータル負けました。でも爽やかさがのこります。

ホテルに戻り、歓迎レセプションです。毎回ですが副市長が主催しますが、海外出張中とかで、体育局 除局長の招待でした。歓迎の辞、そして私から訪問挨拶。乾杯のあと楽しい宴です。

 

 

19日、同じく選手達は朝6時から散歩して7時昼食、8時半ホテル出発。下野団長とワゴン社に乗り体育館に向かいました、横を走るバスを見ると「英守村」行きと書いてあります。えぇと思い急いでカメラに撮りました。次回来た時に伺いたいものです。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

9時20分、瀋陽市軍事陸上運動学校瀋陽市体育中学体育館に到着、すぐアップをして、今日は札幌市の選手と瀋陽市の選手を混合にして試合をしました。良い光景です。友情の絆が深まります。手を抜くことなく汗びっしょりになって試合をしています。昼まで試合をして、選手達は昼食をとり午後は郊外にある怪披公園見学です。

 

 

 

 

  

私達(私、下野会長、土田次長)は古い友人札幌と瀋陽の青少年スポーツ交流を促進して頂いた瀋陽市国際体育友好協会 尚紀善会長はじめ幹部が昼食会を開いて下さいました。昔話や思い出話や苦労話が出で、涙あり笑いあり楽しい昼食会でした。

 

 

  

 

 

 

 

すぐ、ホテルの戻り私は単独行動になります。瀋陽市外事弁公室の張廸さんの案内で、瀋陽市残疾人連合会 淘慶才理事長に面会に伺いました。2000年から札幌市身体障害者協会と瀋陽市残疾人連合会友好団体になり交流を続けて参りましたが、ここ暫く低迷をしているのでもっと積極的に交流を進めましょうとの札幌市身体障害者協会浅香博文会長のメッセージをお届けしました。

瀋陽市周辺を含め人口780万人で内38万4千人が障害を持っておられる市民です。障害者に優しい街づくりにも力を入れています。淘理事長は札幌市との交流の仕方を検討しているところとのことでしたとのこと。また瀋陽市も中国20のモデル地区の内の1つでトップ5に入るそうです。

私が友好提携の提案者でありますので責任もあります。前理事長 梁理事長も来札を約束して頂きましたが、人事異動で叶わなくなりが今度は進むでしょう。

 

 

 

 

 

瀋陽市残疾人連合会を改めて拝見しました。大分内部改造をしています。20階舘ですが、中に障害者用のホテル宿泊所を30室作り、レストラン(朝、昼300人分)と来賓用個室宴会場を作りましたとのこと、また、相談業務、就職、アルバイト、結婚相談など機能を充実しそれを担当する人は障害をもった方々です。今後の淘理事長は障害者のために積極的に施策を進めて行くでしょう。

30分の約束も1時間30分と話が弾み夕食でもとお誘い頂きましたが、今回は予定があるので札幌で呑みましょうと約束して別れました。

 

 

 

 

 

  

 

夕食は、昨年卓球競技で交流し、瀋陽―札幌の大会でお世話頂いた瀋陽市体育運動学校 李勇校長が、学校真向かいのレストランでの招待夕食会で美味しい中国料理を頂きました。大分選手達も気心も知り打ち解けてきました様子で安心です。共にジュスで乾杯、写真を撮りあったりして楽しそうです。

 

 

 

 

 

 

 

その後、高級デパートを視察、地下食料品売り場や、安売り売店を1時間位視察致しました。高級品ばかりで日本以上かも知れません。お客も高級車を乗りつけるハイグレードな市民です。

  

20日、瀋陽市での最後の交流試合です。選手達は予定を早めホテル8時出発。少しでも多く練習試合をしたいとの意気込みです。今日は3コートにわけ勝ち抜き戦です。札幌も瀋陽もない最後に誰が勝つかであり、3回のチャンスがあります。楽しんでいます。瀋陽市体育局長除局長も会場に顔を出して下さり、名残惜しそうに閉会式。それぞれのチームにトロフィーを贈られて記念写真を撮りました。

 

 

 

  

 

昼食を頂いて、瀋陽の選手団も一緒に世界遺跡北陵公園、故宮を視察致しました。皆楽しんだようです。

  

 

 

  

 

夜は、最後の晩餐会、老辺餃子店で体育局 除局長の招待です。

除局長の挨拶のあと、私からお礼のご挨拶をして、「また札幌でお会いしましょう」と固い約束。美味しい瀋陽名物の餃子をお腹いっぱい頂きました。

そして、瀋陽の皆さんに心からなるお礼を込めて札幌市選手団全員で用意をいていました、日本の歌「ふるさと」を皆で歌いました。私は何か涙がぼろぼろ流れてきました。やり遂げた安堵感でしょうか、感動でしょうか、歳のせいでしょうか?

 

  

ホテルに帰り、私は札幌の選手団とお別れを致しまして、20会トップ調理師の視察団と合流するために、瀋陽桃仙国際空港に迎えに行きました。予定通り到着。瀋陽のホテルに直行しました。

20会トップ調理師視察団11名中国料理調理師、司厨士調理師さん方は、瀋陽市と北京市の調理師団体、業界団体との交流を目的に訪問致しました。

北海道は「食と観光」を大きなリーデング産業にするために、訪問頂ける国、地域の市民の食感を研究し文化にもふれ、少しでも「おもてなしの心」を掴む努力をして行きたい思惑もあります。

 

 

 

 

 

 

21日は日曜日ですので、昼間は官庁など訪問出来ませんので、街から1時間位はなれていて、数年前に世界園芸博覧会が開催されました棋盤山にある植物園を視察。スケールの大きさにビックリします。中国の主な都市に公園を作らせ、また、アジアの国々に公園を作りを要請し世界観を表現した公園です。歩いては廻れません。電気自動車が廻りそれに停留所毎で乗って廻る仕組みです。

 

 

 

 

  

昼は、民族村で昔風の家屋のようなバンガローで部屋を借り、注文は視察団に中国料理のプロがいますので、美味しい料理を注文しました。

これが今回楽しい視察のひとつです。出来上がりでなく、注文して瀋陽の人々の生活の味を確かめることも目的の一つです。いつか食べたことのある懐かしい味もあります。

 

 

午後は、動物園です。人間が檻に入って寅、ライオン、象、縞馬などを見て廻るのです。暑くて動物達皆暑さに参って寝転んでいます。

 

  

 

 

 

急いで帰り、ホテルで着替えて、清王朝料理レストラン「清文化主題酒店」に直行しました。そこで、車のラッシュで少しお待ち頂いておりました。

遼寧省飲食調理業会 呉 暁昕副会長兼秘書長、

瀋陽市「金輝食府酒店」(レストラン)李 春詳会長

瀋陽市「老辺餃子」飲食管理有限公社 崔 滔会長

瀋陽市「瀋陽筷道「大連漁港」于 紅軍社長

遼寧大学「師生園」(レストラン)飲食管理有限公司社長 李 昌権社長

瀋陽市「原味斎酒楼」原 偉会長

瀋陽市「馬家焼売館」 丁 福昌社長

瀋陽市外事弁公室 副主任 王 昌宝氏

    同    処長  馬 宁氏 さん達が待機して頂いておりました。

最初に私が招待致しましたので、私からご挨拶を申し上げました。

お待たせしたことをお詫び申し上げ、お忙しい中、御案内致しましたところご参加頂き有難うございました。北海道・札幌のトップ調理師さん達と瀋陽のトップ調理師さんの交流がしたくて伺いました。調理の向上、若手育成などお互いの悩みや希望があるでしょう互いに話し合うことが出来たなら幸いですと挨拶。続いて瀋陽市「金輝食府酒店」(レストラン)李 春詳会長から歓迎の挨拶、ようこそ瀋陽市においでくださいました。私達は、友好都市である札幌の調理師団体の皆さんと交流するのは始めてです。千葉さんの言ったことも含めて今後交流を深めて行きたいと思いますとの挨拶。

山口一郎団長が20会の48年間の歴史や意義など説明をして乾杯の挨拶。

遼寧大学「師生園」(レストラン)飲食管理有限公司社長 李 昌権社長は麺の大家であり、瀋陽市「原味斎酒楼」原 偉会長は調理師から身を起こし市内の店舗を持ち棋盤山リゾート地にホテルとレストランを経営しています。

瀋陽市「原味斎酒楼」原 偉会長は何度も最高調理師賞を貰っているとのことです。大変意義のある交流でした。今後楽しみな交流になることを願っております。

 

 

 

帰り夜8時過ぎは大雨で道は洪水です。雹も降ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

22日、朝、瀋陽市政府を訪問致しました。祁鳴 副市長と会談が出来ました。

祁副市長は聡明な女性副市長です。我々を歓迎してくれました。特に私のことにふれ、札幌瀋陽の架け橋として努力して下さっていることに感謝を頂きました。今の瀋陽市は、発展素晴らしく飲食業も発展の一途である特に外食産業は目を見張るものがある、調理師・飲食産業界の交流は意義があり互いの知恵を結集して交流をして行きましょうと、又、私が身障者の方々の交流のもふれますと、副市長は私が責任持って進めるように努力すると発言されていました。

更に、交流にあたっては直行便が必要だと私が力説しました。副市長は、近い内に復活できると信じていますと発言。しかしこの問題は、瀋陽市も北海道・札幌も双方努力しなければ実現出来ませんので、話し合いのテーブルを作る努力をしたいと思います。

是非、祁鳴副市長には札幌市に訪問を頂きたいものです。約30分の会談でしたが旧知の関係のような和やかに、有意義な会談であったと思います。

 

   

 

 

 

 

   

そのまま、世界遺産瀋陽故宮視察をして、昼食会場へ人気のあるレストラン「新洪記」へここでも我が視察団の専門家の見立てで料理を注文、美味しく頂きました。そこへ、知り合いの瀋陽市旅行社副社長 楊 伯珍さんが現れ、日本のお客さんと食事をしていたところ、千葉さんがこられると聞いて会いに来ましたと久しぶりの再会でした。皆様にも紹介させて頂きました。

 

3時40分の北京行きの飛行機で瀋陽桃仙空港から飛び立ちました。

北京は薄曇りです。北京オリンピック以来大きくなった北京国際空港です。

  

 

 

 

 

 

真っ直ぐ、全聚徳(和平店)北京ダッグのお店に。

中国料理協会会長 蘇秋成会長、世界中国料理連合会 尚哈玲秘書長(女性)中国料理協会顧問 孫月娜顧問(女性)この女性達は一昨年札幌に来られており顔見知りです。

最初に富井日本中国料理北海道本部長から挨拶をして、蘇秋成会長の挨拶で「日本の中国料理は素晴らしく良く勉強もされ努力もしている姿みてきております、今後も交流が続くように努力しましょう」との挨拶。日本中国料理鈴木札幌支部長の乾杯で交流が始まりました。

 

  

 

  

23日、今日は歩く距離があるので万歩計を付けました。皆さん食のプロだけに、天安門近くの公設朝市を視察しました。野菜、果物、豆腐、肉、朝食売り場など活気ある市場を見ました。そして天安門散策、故宮と向う長い距離です。そして万里の長城へ向いました。途中国営レストランに寄り昼食これまた専門家に見てもらい注文しました。

 

 

 

 

 

 

 

   

只々満足し、一路万里の長城へ、前の来た時と高速道路の出口が違い遠廻りになっていて、いつもの男坂、女坂とは違う便利なゴンドラに乗って裏山まで行き違う男坂、女坂に出ました。女坂を20分登り帰り20分足がガタガタです。帰りもゴンドラに乗って帰ってきました。

夕方は慢性的な交通ラッシュに遭いましたが市内の高級しゃぶしゃぶ店で公式行事もなく、視察の疲れを取りながら思い出話しをしながら、和気あいあいに視察最後の夕食を済ませました。

 

24日、まだ暗い早朝ホテルを出て8時発の飛行機で北京空港を札幌に向けて飛び立ちました。そして定刻12時50分新千歳に到着です。着陸でホット安心しました。北海道はやっぱりいいな!!解散式後、帰宅いたしました。

皆さん有難うございました。ご苦労様でした。また、皆さんと行けたら良いですね。

 

 

 

夜は、中国駐札幌総領事 胡 勝才さんの離任パーティーに駆けつけました。

胡 勝才総領事は会場に入る時に、私に北京から駆けつけてくれて有難うございますと言ってくれました。4年間お勤めになられ任期で北京に帰られるのであります。歴代の中では長い任期であります。中国総領事として北海道と中国の掛け橋になって頂きお忙しい日々であったと思います。何度も総領事とは会談もさせて頂き、胡 勝才総領事の誠実な人柄にふれ、日本留学以来広い人脈を構築してきただけある親日家の方であります。本当にご苦労様でした。また、日本に戻って勤務されると信じています。

 

 

25日、議会にでまして打ち合わせ、小樽建設協会の要望を受けました。

 

 

26日、事務書類整理したのち石狩湾新港組合理事者と打ち合わせ後、

北海道電力川合副社長、酒井常務に対しまして、中松小樽市長関係者、田岡石狩市長関係者、私と石狩湾新港関係者が石狩湾新港に北ガスがLNG基地を建設中でありそれを利用して北電火力発電所を建設して頂くようにお願い致しました。これは、政府が計画している日本海側拠点港指定に大きなインパクトを与えることになるので、早急に決定をお願いしたいと要望。川合副社長は検討しているので前向きに考えたいと話されていました。

  

 

夜は、ちば英守連合後援会代表者会議・道政報告・懇親会を開催して頂きました。今後の後援会活動について協議して頂き、私から道政についての報告をさせて頂き、懇親を深めました。

 

27日は、今日は特段日程が入っていません。ホットしたのか疲労が溜まっているせいか、一日ボ~としていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

28日、朝から青空のもと幌西連合町内会の運動会に参加しました。町内の大人も子供も参加して、学校関係者も全面協力で盛り上がった運動会です。

 

午後から、事務所で書類整理をして、夜の20会の例会に参加致しました。

 

 

29日、朝から来客が数組おいでになりました。

午後、札幌市身障協会に浅香会長を訪ね、瀋陽市残疾人連合会 淘慶才理事長の件、報告しました。

 

 

30日、朝、凛葉会の秋の研修旅行の打ち合わせ。11時から、ある専門学校の道議会本会議場での研修に、私も参加し学生の質問に答えました。

午後事務所に戻り、来客と懇談致しました。その後書類整理。

民主党の新総理が野田佳彦さんになったようです。頑張ってください「国民の為に」「どじょう総理」とか命がけで頑張ってエールを送ります。


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