近況報告  平成23年4月下旬

月曜日, 5月 09, 2011

3月11日に発生した、東日本大震災から1ヶ月以上が経過しましたが、福島原発事故に対する収束メドがつきません。住民の20キロ圏内の退避命令や、30キロ圏内の自主退避など発令されておりますが、混乱しており復興には程遠い感じです。

報道でしか、様子がわかりませんが実際は報道以上の惨事だそうです。

何度、テレビを見て新聞を見て泣いたことでしょう、親を失い家族を失いながらでも、ひたすらに、地域のため、次代の子供達のためにと奮闘している人々の様子が紹介されております。私達はしっかりと支えていかなければなりません。

多くのボランテアが被災地に入っております。東北少林寺拳法仲間の応援で少林寺拳法総裁、宗由貴さんも私の知る限り2度被災地に入っております。物資支援や、家屋に入った泥を掃きだしなどのボランティアをされておられたとお聞きしています。想像を絶するようです。

自衛隊、警察、消防、海上保安庁、各自治体職員の皆さんにはご苦労頂いております感謝に耐えません。又、各団体がボランティアに入っております。介護福祉関係入っている様子も伺い、お坊さんの団体もご遺体のご供養に入られ、各種各団体が情報を共有して現地に入ってボランティアをされていり、日本人の絆の深さをあらためて感じております。

11日からずーと挨拶廻りをしております。その間、各団体の総会シーズンですので出席し、選挙お礼を申し上げております。皆さん我が事のように喜んで頂いております。有難うございます。

幌西地区の女性部の凛葉会の役員会に出席しました。皆さんに本当にお世話になりました。有難うございました。

23日に、札幌市盲ろう者福祉協会富樫真弓会長からご丁重なご案内を頂き、総会にご招待され出席させて頂きました。富樫真弓会長から協会の顧問就任要請がありました。私でよければとお引き受け致しました。目と耳がご不自由な方々の協会です、私に何が出来るかわかりませんが、みなさんと共に頑張りますと挨拶させて頂きました。

障害者団体やスポーツ団体の総会がメジロ押しです。

上部に書きましたが、少林寺拳法グループ宗由貴さんから、当選お祝いのメッセージが携帯に入って来ました。直ぐ返信で御礼メールを返しました。

数日後、お聞きすると被災地にボランティアに入られていた時、忙しい中のメッセージでした、それを聞いて又、ボランティアの忙しい中感謝の意をメール

で送りましたら、又被災地に入られてボランティアされておられました。

由貴総裁らしい行動です。少林寺拳法のホームページを見ましたら由貴総裁が次のようなコメントが書かれておりましたので皆さんに是非ご紹介したいと思います。

いま、必要とされている活動を、自分にできることから、何からでも続けたい

「もう道院復活はむずかしいと思った。」街がほとんどなくなってしまった。助かった人達もどれだけの人がここに残るかわからない、そんな状況の中、「被災した少年拳士たちに後押しされ、もう一度やらなければと思った。」岩手高田道院・五日市周三道院長の言葉です。その言葉には次のような背景がありました。

―――4月16日、釜石から大船渡・陸前高田・気仙沼、南三陸・石巻・多賀城と被災地を訪れた私は、現地の状況を目の当たりにし愕然としました。阪神淡路大震災も大変な状況でしたが、それとはまた違う、津波の被害は、まさに街が消滅するという状況です。率直なところ、被災された方々に何と言ってよいのか、伝える言葉も見つからず、「私たちが頑張ります!」としか言えませんでした。(被災地訪問) 少林寺拳法グループでは、支援対策本部を設置しています。宮城県多賀城市を拠点として瓦礫の片付けなど、学生連盟や全国各地から道院長・拳士など有志の方々が、様々な活動を展開しています。その一つに陸前高田市(岩手県)での「ラーメン隊」があります。神奈川大和道院の荒木誠吉道院長が、同じ道院の仲間に呼びかけたところ、道院の拳士の中でラーメン店を営む櫻井拳士がいて、「道院の皆でラーメンの炊き出しをやろう!」という声があがりました。ただ、ガスも水道もまだ復旧していない現地です。ところが、拳士の中にガス関係、水道設備関係の専門職の人、コンテナなどの資材も提供してくださる方等が現れ、皆の協力で完璧なキッチンコンテナができ上がったのです。それを現地に運んで、神奈川県連盟のバックアップのもと被災された方々にあたたかいラーメンを提供させていただく活動を始めました。

活動を開始した当初より多くの方々に喜んでいただけたようです。なかには、こんな場面もあったそうです。小さい子どもがやってきて「ラーメン、いくら?」と訪ねると、聞かれたスタッフが「お金は要らないよ」と答えると、子どもは周りにいた大人を見回し、「本当にただ?」と確かめ、「うん、食べていいんだよ。」という答えを聞いてから、はじめて美味しそうにラーメンを食べ始めたそうです。津波により、両親を亡くし、一人で食べに来た子どもだったようです。こんな子どもが何人もいるのです、ということでした。また、ここに集うことが、離れ離れになっていた人たちの再会の場にもなっている。「生きてたんだ!」という再会の瞬間に何度も立ち会うのだそうです。ラーメン隊の皆さんは、現地の方々に喜んでもらえることで、「やりがいになっている」、「力になれることの喜びを強く感じている」と言われていました。
私が嬉しかったのは、そうして集った被災された人たちが一緒になって活動に参加をし始めていたことでした。美味しいラーメンが提供されているという話を聞いてやって来た方々が少しずつ「自分も何かしなきゃ!」と奮起し、スタッフに混じって活動しているのです。そして、参加される現地の方々がおっしゃるのだそうです。「いろんなものがあるときには、いらないものにずいぶんとこだわっていた。いま何もなくなってから本当に大切なものって何か?考えるようにもなった。自分にとってできることは何か。」と。

志を持った人が始め、人が集い、元気になり、イキイキと時間を過ごし始める。私は少林寺拳法の道場の姿を見ました。誇るべき私たちのこだわりです。

ここに、冒頭の五日市道院長がいました。震災当日、ご本人は勤務先である盛岡にいて無事でしたが、道院のある陸前高田の惨状を映像で見ることとなりました。心配でたまらなかったと思います。県の職員という立場上帰れない状態が続いていたそうです。私が現地を訪れた日に、五日市道院長は勤務先から5時間の距離を駆け付け、道院の子ども達や保護者と一緒に、ラーメン隊の活動にも参加してくれました。そして、数日後、五日市道院長から「大変な中、避難所でじっとしていると後ろ向きになるけれど、こうやって手伝っていると元気が出るというお母さんや、辛くても仲間が集って楽しそうにしている子どもたちの様子を見て、この子たちの為にも少林寺拳法をまた始めなければ・・・と道院の再建に向かって気力がわいてきた」というメールが届きました。

いま、必要とされている活動を、自分にできることから、何からでも続けたいと思います。

少林寺拳法グループ総裁  宗 由貴
私は、東日本大震災にボランテァにゴールデンウイーク連休にかけて行こうと思っていました。しかし、少林寺拳法北海道連盟池上顧問、宮末北見道院長はじめ数人ら有志が29日出発し、宮城県を中心に陸前高田を廻り、まずは先発して様子をみてくることで、先は長いのだから千葉会長はそれからにして下さいと諌められて、まずは断念しました。遂次連絡を入れ報告を待つことにしました。



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