近況報告  平成23年11月上旬

土曜日, 11月 19, 2011

  

 

 

 

 

 

11月と言うのに温かな日差しです。銀杏が真黄色になっています。今年もあと2ヶ月頑張らなければ!

11月中旬は、石狩湾新港が、国の日本海側港湾指定を受けれるかが大きな争点です。石狩湾新港管理組合あげて努力はしました。結果待ちです。

13日から中国瀋陽市に、新千歳空港の直行便復活をお願いに行きます。25日から第4回定例会が12月9日まで開かれます。今月は忙しくなります。

 

1日は、朝9時半、党の議員定数プロジェクトチーム(会長釣部道議)で議会定数協議会(私が座長)での進行状況など説明しました。10時、道連経済立て直し・財政再建プロジェクトチーム(会長船橋道議、幹事長は私です。)の初会合で、理事者から取り組み状況について報告を受けました今後、経済と財政と2チームの分け、自民党の提言をして行きたいと思います。

11時3役会、役員会と続き、12時、ホテルで議員総会「国会議員と地方議員の身分の違い」など法的に守られている立場と曖昧な地方議員の立場を認識し、今後の議会改革協で議論をするために勉強会を開きました。

13時一斉常任委員会開催しました。総合開発委員会は水資源確保の条例化の中間報告でした。

16時30分自民党道議会水産議連の勉強会をしました。その後水産業界と理事者の年1度の懇親会に出席。

夜は、札幌花園病院創立60周年の記念パーティーに出席しました、ご縁で祝辞を申し上げました。

 

2日、10時エネルギー特別委員会でした。北電がらみの質問が多く出ました。昼から、久しぶりに事務所で書類整理を致しました。事務所はやはりホットします。

 

3日、文化の日です。休日でも休めなくて、ある団体の秋の大祭が行われました。毎年参加しています。

 

4日、事務所で書類整理、来客とバタバタしました。

  

 5日、朝、第35回道央地区日本民踊大会が中央体育館で行われました。大会長として開会にあたりご挨拶を致しました。皆さんお元気で踊っています。

 

夜は、ある商店街の観風会に出席しお世話になっている方々と政治・経済・商店街のことなど懇談をさせて頂きました。

 

6日、藻岩会(高等盲学校・盲学校の卒業生や先生OBの皆さんの会)に招かれて総会・懇親会に参加致しました。視力障害者総合教育センターの期待は大きいです。

夜は、家内と毎年参加しています、シャンソン歌手 嶋保子さんのディナーショーに参加しました。毎年11月にディナーショーを行ないます。晩秋の夜長を楽しむ企画です。彼女はもう3年位前から癌と戦っています、今年は車椅子でのステージとなり、大丈夫かなと思いました。でも彼女の声はしっかり出ています。徐々に嶋保子のダイナミックさが出てきました。熱唱する彼女の姿に涙したのは私だけではありません。会場が盛り上がりました。そして、最後「来年も元気であったなら皆さんとステージで会いたいです。」「大丈夫だ頑張れ」「頑張って」の声が客席から出ました。

始まる前に嶋保子さんと廊下ですれ違い、別れていた息子さんを紹介して下さいました。20年前からお母さんの「追っかけしています」と名刺を差し出しました。息子さん「母がお世話になっています」と応えてくれました。母の車椅子を押す息子さんです。病魔と戦って来年も素晴らしいステージを見たいです。お客さんを送る彼女に、私は彼女に「大スター」だよ素晴らしかったと握手を求めました。

 

7日、朝、我が党の衆議院議員北海道第1選挙区の拡大役員会を開きました。

今後、勢力的に候補擁立をすることで話し合いが行われました。会議後、事務所に戻り地域が望んであります、要望書作りをして調整を図りました。夜は、知り合いと勉強会を兼ねて懇談致しました。

 

8日、暦の上では立冬です。地域要望で南警察署に打ち合わせに伺い、昼、議会で党政調会による「バックアップ拠点構想」の中間報告勉強会に参加し、意見も述べました。

その後、札幌市役所市民まちづくり局に地域要望の打ち合わせに伺いました。

夜は、札幌学園の理事会に出席し報告を受けましたが、順調に真駒内幼稚園、保育園が運営されています。理事として喜んでおります。大切な子供さん達をおあずかりしていますので職員のみなさん頑張ってくれております。よろしくお願いします。

更にその後、武部勤代議士政治活動25年、政治活動40年の記念パーティーに出席しました。武部勤代議士とは道議時代からですので長いお付き合いになります。

 

9日、事務所で書類整理をして、

夜は、昔、新聞記者をされ現在関連会社の社長と昔話をしながら一献傾けました。共にこの時代を生き抜く戦友のようなものです。

 

10日は、朝刊に国交省が兼ねてから計画していました、日本海側拠点港指定結果が出ました。石狩湾新港は、機能別拠点港に指定されることになりました。

一生懸命石狩湾新港管理組合の理事者の皆さんはじめ知事、建設部、関係団体、石狩市、小樽市、経済界と共に頑張った成果が出ました。まずはホットしました。正式発表は夜に知事に連絡が入ります。

 

 

 

朝、札幌レデースバドミントン団体戦のクラブ対抗戦の開会式に主催者として挨拶に伺いました。パワー溢れるママさん選手達です。

開会式を終え1時間ゲームを拝見して、議会で理事者と打ち合わせ、役員会と続きました。

夜は、道の理事者と保健福祉関係者と意見交換会を致しました。

 

11日、一日事務所で書類整理、来客、13日から中国瀋陽市、大連市を訪問するための準備を致しました。

夜は、訪問する方々との結団式を致しました。まだ、瀋陽市を訪問されていない方もいらっしゃるので体験談などお話させて頂きました。

 

 12日は、午後、防衛セミナーに参加致しました。講師の話は勉強になりました。世界情勢特にアジアを見る時に、沖縄で見るか、東京で見るか、ワシントンで見るかによって判断が違うと言う解説はなるほどと思いました。

 

13日、中国訪問、瀋陽市、大連市に出発しました。このチームは道の武田建設部長を団長に、建設部空港活性化推進室、経済部国際経済室、北海道空港企画と私、総勢6名での訪問です。その主たる目的は、北海道中国戦略のなかで東北3省の拠点である瀋陽市との定期便復活をするためであります。

1998年新千歳―瀋陽線が開通しました。当時北方航空でした

瀋陽市が影響力を持ちうる飛行機会社でしたが、1997年のことです。チャター便を飛ばし実績を積み上げることが大切とされ、私もチャター便を買い上げ故加藤亨先生が瀋陽栄誉市民ですのでご相談し団長にお願いして後援会の方々と瀋陽市を訪問致しました。今考えるとぞ~とします。若かったから出来たのでしょうか。

2007年一時運休をしましたが、2010年2月に瀋陽市訪問した時に、1998年札幌―瀋陽便就航を決意された元瀋陽市長張栄茂さんに来年は札幌市との友好提携が30周年になります、このままでは、これまで培った交流が薄れると思います是非直行便の復活をお願いしますと直訴しました。

張栄茂さんは、南方航空の瀋陽支社長を呼んで下さり、札幌―瀋陽便はその後、どのようになっているのかと尋ね、札幌との30周年もあるので検討していますと答えられましたが、張栄茂さんは、検討じゃ駄目だ、実行しなさいと指示をされ6月に決定されました。

実際は準備が遅れました8月11日に3年ぶりに瀋陽から札幌に飛び立ちました。その日、加藤亨先生が病床で亡くなりました。何かの縁だなと思います。

その間、瀋陽市政府の補助金1億円近く出されたお聞きしています、いろいろな方々が最大の努力をして頂いたと思います。

しかし、今年3月の東日本大震災の影響もあり急激に乗客数も減り、5月から運休となりました。

そこで、今年10月の第3回定例会で、道の中国戦略(行政交流、観光、経済、市民交流)を質し、知事総括まであげ、中国東北部戦略には瀋陽―札幌が不可欠であると論陣をはりました。

その後、直ぐに建設部空港活性化推進室が反応して、是非定期便復活要望に行きたいとのこと、瀋陽市との橋渡しをお願いするとのことで、13日出発となりました。

 

 

 

 14日、瀋陽市に事務所を置く、北海道銀行瀋陽出張所 正司毅事務所長を尋ね、瀋陽市の最近の状況や東北3省の様子をお聞き致しました。

その後、南方空港北方支社を訪問して、曹湜副支社長(前札幌支店長)ら幹部と定期便復活要望活動を致しました。曹湜副支社長曰く、是非札幌線は残したと思っていますが、現在の状況では乗客客数が少ないので無理です。道庁の補助金があれば飛ばすことは出来ますとのことです。流れが道庁の補助金ありきになって来たので、私から、まだまだ双方が努力(情報、施策の展開など)することをしっかりして行なっていかなければ駄目なので、双方頑張りましょうと流れを止めました。しかし、南方空港北方支社の札幌線の思いは痛く感じました。

 

 

瀋陽市 黄凱副市長ら副秘書長、外事弁公室、対外貿易経済合作局、旅遊局、瀋陽桃仙空港担当者、南方空港北方支社幹部と会談致しました。

黄凱副市長は、札幌・北海道の交流は大切である認識を示し、定期便の休止は誠に残念である、ここでも、三方一両損で、補助金を瀋陽市、北海道、南方空港北方支社で負担してはどうかと提案がありましたが、もう少し三方で考えることにしましょうと止めました。

 

 

その後、黄凱副市長招待の懇親会が始まりました。私は黄副市長とお会いするのは始めてでしたので人柄を知るためにもなるべく話しをしました。また横に座って頂いたのは外事弁公室主任の方向東さんで長年の友人で助かりました。そのお陰でいろいろ懇談出来ました。

懇親会の終わりに、私から一言話をさせて欲しいと申し上げました。

「直行便を復活させたい、双方の思いが分かりました。大変嬉しいです。札幌市と友好都市を31年間締結結び、それに多くの方々が努力されました。

かつて、双方が不孝な時代を経験された方々が札幌と瀋陽の子供達が二度と不幸な経験をしないようにと平和を願い友好締結をしました。この間、経済だけでなく、市民、教育、福祉、スポーツ、文化、交流など様々な交流がなされ必死にこの交流を守り育てて頂いた方々の思いを忘れてはならない、それを知っているのは、瀋陽市外事弁公室の皆さんです。経済環境だけで判断して言いものか、もう少し双方が様々検討して良い結果を出して行きたいので頑張って行くことをお願いしたい」と発言。拍手が起きた。

懇親会が終わり、瀋陽の友人が待っているからとパーティー会場へ行きました。

友人とは、1998年瀋陽―札幌の定期便を実現させた男であります。

彼も大変心配していて、幾つかの提案をしてくれました。

1、札幌から飛ぶ瀋陽便の座席15席位道で責任が持てないか。

2、瀋陽―ハルピンー札幌の新しい路線が確保出来ないか。

このことが出来るならば、新たな展開が出来るのではないかと話してくれました。

 

 

 

 

  

  

 

 

  

 

 

 

15日、朝、瀋陽市を出発、バスで高速道路を南下、約5時間を経て大連市に移動、北洋銀行大連出張所を訪問、山田英幸所長と面会し、大連経済、東北3省の状況について説明を受けました。その後、南方航空大連支社 王憲勃副部長ら幹部に、10月29日から札幌―大連線復活して頂いたお礼に伺いました。王憲勃副部長曰く、北洋銀行がいろいろ動いて頂いたお陰ですと言われておりました。夜も暮れ、我々だけの夕食会場へ向い「今日からが始まりでこれからが大変です頑張って行こう」と誓いの乾杯をしました。

 

16日、朝、6時過ぎホテルに出発、8時40分関西国際空港経由で新千歳空港へ到着。皆、ホッとして家路に向いました。

中国戦略は始まったばかりです。積極的に双方の情報交換をして受け身でなく積極的に攻めて行きたいと思います。



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