近況報告 平成23年8月下旬

金曜日, 9月 02, 2011

 

 

 

 

 

 

お盆が過ぎ、めっきり秋めいていました。あの暑さは何処へやらの感ですが国政政治も菅総理の退陣で、民主党代表選挙が行なわれますが果して誰がなるのでしょうか、どちらにしても短命内閣ではないかと思います。マニフェストの放棄、ネジレ国会、これでは国民生活、景気、雇用、何寄り東日本大震災の復旧復興が進みません。国民に信を問うべきで、もう一度解散総選挙をするべきです。

 

17日~20日まで、札幌市の友好都市である中国瀋陽市にフェンシング競技の交流試合で高校生・中学生総勢15名の選手団で訪問致しました。

この事業は、日本体育協会、北海道体育協会の主催で、主管は札幌市体育協会札幌フェンシング協会であります。

 

札幌=瀋陽直行便が休止しておりますので僅か3時間で行けるところ北京周りで瀋陽へは待ち時間を含めると約11時間位になるでしょうか大変苦労致します。飛行機が30分遅れて夜中の到着でしたが、瀋陽市体育局関係者、今回の交流学校瀋陽市軍事陸上運動学校瀋陽市体育中学 聞志平校長先生関係者の皆さんの熱烈歓迎を受けました。

ホテルで全員お夜食のうどんをご馳走になりました。中国では歓迎する時はうどんをご馳走する仕来りがあります。ホテルで寝たのが夜中の3時でした。

 

 

 

 

 

 

18日は、予定通り選手達は朝6時に起きて散歩を楽しみ、7時朝食をして9時20分ホテルを出発、10時瀋陽市軍事陸上運動学校瀋陽市体育中学体育館に到着。早速選手達は軽い運動をして、練習にはいります。本格試合は午後です。瀋陽の選手は中学生ですが、皆背が大きく強そうです。感心したのは、写真に載っているようにフェンシング専用の体育館です。

 

私、札幌市フェンシング協会名誉会長、札幌市フェンシング協会下野謹也札幌市体育協会土田隆幸次長と、瀋陽市側 聞志平校長先生関係者とスケジュールの打ち合わせ、今後の交流の進め方について協議を致しました。来年は瀋陽市側のフェンシング選手を受け入れることで合意。日時は来年8月10日から14日までとする。今後、射撃、アーチェリー、レスリング、柔道、武術、空手(テコンド)、フェンシュング競技なら聞校長の決断で出来るとのことでしたが、今後の種目については未定としました。会場に戻ると、熱気溢れていました。

 

 

 昼食をわざわざレストラン(焼肉)に連れて行ってくださり美味しく頂きました。

 

 

 

 

午後、体育館に戻り、開会式 記念品交換 試合開始。札幌市選手は押されぎみです。トータル負けました。でも爽やかさがのこります。

ホテルに戻り、歓迎レセプションです。毎回ですが副市長が主催しますが、海外出張中とかで、体育局 除局長の招待でした。歓迎の辞、そして私から訪問挨拶。乾杯のあと楽しい宴です。

 

 

19日、同じく選手達は朝6時から散歩して7時昼食、8時半ホテル出発。下野団長とワゴン社に乗り体育館に向かいました、横を走るバスを見ると「英守村」行きと書いてあります。えぇと思い急いでカメラに撮りました。次回来た時に伺いたいものです。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

9時20分、瀋陽市軍事陸上運動学校瀋陽市体育中学体育館に到着、すぐアップをして、今日は札幌市の選手と瀋陽市の選手を混合にして試合をしました。良い光景です。友情の絆が深まります。手を抜くことなく汗びっしょりになって試合をしています。昼まで試合をして、選手達は昼食をとり午後は郊外にある怪披公園見学です。

 

 

 

 

  

私達(私、下野会長、土田次長)は古い友人札幌と瀋陽の青少年スポーツ交流を促進して頂いた瀋陽市国際体育友好協会 尚紀善会長はじめ幹部が昼食会を開いて下さいました。昔話や思い出話や苦労話が出で、涙あり笑いあり楽しい昼食会でした。

 

 

  

 

 

 

 

すぐ、ホテルの戻り私は単独行動になります。瀋陽市外事弁公室の張廸さんの案内で、瀋陽市残疾人連合会 淘慶才理事長に面会に伺いました。2000年から札幌市身体障害者協会と瀋陽市残疾人連合会友好団体になり交流を続けて参りましたが、ここ暫く低迷をしているのでもっと積極的に交流を進めましょうとの札幌市身体障害者協会浅香博文会長のメッセージをお届けしました。

瀋陽市周辺を含め人口780万人で内38万4千人が障害を持っておられる市民です。障害者に優しい街づくりにも力を入れています。淘理事長は札幌市との交流の仕方を検討しているところとのことでしたとのこと。また瀋陽市も中国20のモデル地区の内の1つでトップ5に入るそうです。

私が友好提携の提案者でありますので責任もあります。前理事長 梁理事長も来札を約束して頂きましたが、人事異動で叶わなくなりが今度は進むでしょう。

 

 

 

 

 

瀋陽市残疾人連合会を改めて拝見しました。大分内部改造をしています。20階舘ですが、中に障害者用のホテル宿泊所を30室作り、レストラン(朝、昼300人分)と来賓用個室宴会場を作りましたとのこと、また、相談業務、就職、アルバイト、結婚相談など機能を充実しそれを担当する人は障害をもった方々です。今後の淘理事長は障害者のために積極的に施策を進めて行くでしょう。

30分の約束も1時間30分と話が弾み夕食でもとお誘い頂きましたが、今回は予定があるので札幌で呑みましょうと約束して別れました。

 

 

 

 

 

  

 

夕食は、昨年卓球競技で交流し、瀋陽―札幌の大会でお世話頂いた瀋陽市体育運動学校 李勇校長が、学校真向かいのレストランでの招待夕食会で美味しい中国料理を頂きました。大分選手達も気心も知り打ち解けてきました様子で安心です。共にジュスで乾杯、写真を撮りあったりして楽しそうです。

 

 

 

 

 

 

 

その後、高級デパートを視察、地下食料品売り場や、安売り売店を1時間位視察致しました。高級品ばかりで日本以上かも知れません。お客も高級車を乗りつけるハイグレードな市民です。

  

20日、瀋陽市での最後の交流試合です。選手達は予定を早めホテル8時出発。少しでも多く練習試合をしたいとの意気込みです。今日は3コートにわけ勝ち抜き戦です。札幌も瀋陽もない最後に誰が勝つかであり、3回のチャンスがあります。楽しんでいます。瀋陽市体育局長除局長も会場に顔を出して下さり、名残惜しそうに閉会式。それぞれのチームにトロフィーを贈られて記念写真を撮りました。

 

 

 

  

 

昼食を頂いて、瀋陽の選手団も一緒に世界遺跡北陵公園、故宮を視察致しました。皆楽しんだようです。

  

 

 

  

 

夜は、最後の晩餐会、老辺餃子店で体育局 除局長の招待です。

除局長の挨拶のあと、私からお礼のご挨拶をして、「また札幌でお会いしましょう」と固い約束。美味しい瀋陽名物の餃子をお腹いっぱい頂きました。

そして、瀋陽の皆さんに心からなるお礼を込めて札幌市選手団全員で用意をいていました、日本の歌「ふるさと」を皆で歌いました。私は何か涙がぼろぼろ流れてきました。やり遂げた安堵感でしょうか、感動でしょうか、歳のせいでしょうか?

 

  

ホテルに帰り、私は札幌の選手団とお別れを致しまして、20会トップ調理師の視察団と合流するために、瀋陽桃仙国際空港に迎えに行きました。予定通り到着。瀋陽のホテルに直行しました。

20会トップ調理師視察団11名中国料理調理師、司厨士調理師さん方は、瀋陽市と北京市の調理師団体、業界団体との交流を目的に訪問致しました。

北海道は「食と観光」を大きなリーデング産業にするために、訪問頂ける国、地域の市民の食感を研究し文化にもふれ、少しでも「おもてなしの心」を掴む努力をして行きたい思惑もあります。

 

 

 

 

 

 

21日は日曜日ですので、昼間は官庁など訪問出来ませんので、街から1時間位はなれていて、数年前に世界園芸博覧会が開催されました棋盤山にある植物園を視察。スケールの大きさにビックリします。中国の主な都市に公園を作らせ、また、アジアの国々に公園を作りを要請し世界観を表現した公園です。歩いては廻れません。電気自動車が廻りそれに停留所毎で乗って廻る仕組みです。

 

 

 

 

  

昼は、民族村で昔風の家屋のようなバンガローで部屋を借り、注文は視察団に中国料理のプロがいますので、美味しい料理を注文しました。

これが今回楽しい視察のひとつです。出来上がりでなく、注文して瀋陽の人々の生活の味を確かめることも目的の一つです。いつか食べたことのある懐かしい味もあります。

 

 

午後は、動物園です。人間が檻に入って寅、ライオン、象、縞馬などを見て廻るのです。暑くて動物達皆暑さに参って寝転んでいます。

 

  

 

 

 

急いで帰り、ホテルで着替えて、清王朝料理レストラン「清文化主題酒店」に直行しました。そこで、車のラッシュで少しお待ち頂いておりました。

遼寧省飲食調理業会 呉 暁昕副会長兼秘書長、

瀋陽市「金輝食府酒店」(レストラン)李 春詳会長

瀋陽市「老辺餃子」飲食管理有限公社 崔 滔会長

瀋陽市「瀋陽筷道「大連漁港」于 紅軍社長

遼寧大学「師生園」(レストラン)飲食管理有限公司社長 李 昌権社長

瀋陽市「原味斎酒楼」原 偉会長

瀋陽市「馬家焼売館」 丁 福昌社長

瀋陽市外事弁公室 副主任 王 昌宝氏

    同    処長  馬 宁氏 さん達が待機して頂いておりました。

最初に私が招待致しましたので、私からご挨拶を申し上げました。

お待たせしたことをお詫び申し上げ、お忙しい中、御案内致しましたところご参加頂き有難うございました。北海道・札幌のトップ調理師さん達と瀋陽のトップ調理師さんの交流がしたくて伺いました。調理の向上、若手育成などお互いの悩みや希望があるでしょう互いに話し合うことが出来たなら幸いですと挨拶。続いて瀋陽市「金輝食府酒店」(レストラン)李 春詳会長から歓迎の挨拶、ようこそ瀋陽市においでくださいました。私達は、友好都市である札幌の調理師団体の皆さんと交流するのは始めてです。千葉さんの言ったことも含めて今後交流を深めて行きたいと思いますとの挨拶。

山口一郎団長が20会の48年間の歴史や意義など説明をして乾杯の挨拶。

遼寧大学「師生園」(レストラン)飲食管理有限公司社長 李 昌権社長は麺の大家であり、瀋陽市「原味斎酒楼」原 偉会長は調理師から身を起こし市内の店舗を持ち棋盤山リゾート地にホテルとレストランを経営しています。

瀋陽市「原味斎酒楼」原 偉会長は何度も最高調理師賞を貰っているとのことです。大変意義のある交流でした。今後楽しみな交流になることを願っております。

 

 

 

帰り夜8時過ぎは大雨で道は洪水です。雹も降ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

22日、朝、瀋陽市政府を訪問致しました。祁鳴 副市長と会談が出来ました。

祁副市長は聡明な女性副市長です。我々を歓迎してくれました。特に私のことにふれ、札幌瀋陽の架け橋として努力して下さっていることに感謝を頂きました。今の瀋陽市は、発展素晴らしく飲食業も発展の一途である特に外食産業は目を見張るものがある、調理師・飲食産業界の交流は意義があり互いの知恵を結集して交流をして行きましょうと、又、私が身障者の方々の交流のもふれますと、副市長は私が責任持って進めるように努力すると発言されていました。

更に、交流にあたっては直行便が必要だと私が力説しました。副市長は、近い内に復活できると信じていますと発言。しかしこの問題は、瀋陽市も北海道・札幌も双方努力しなければ実現出来ませんので、話し合いのテーブルを作る努力をしたいと思います。

是非、祁鳴副市長には札幌市に訪問を頂きたいものです。約30分の会談でしたが旧知の関係のような和やかに、有意義な会談であったと思います。

 

   

 

 

 

 

   

そのまま、世界遺産瀋陽故宮視察をして、昼食会場へ人気のあるレストラン「新洪記」へここでも我が視察団の専門家の見立てで料理を注文、美味しく頂きました。そこへ、知り合いの瀋陽市旅行社副社長 楊 伯珍さんが現れ、日本のお客さんと食事をしていたところ、千葉さんがこられると聞いて会いに来ましたと久しぶりの再会でした。皆様にも紹介させて頂きました。

 

3時40分の北京行きの飛行機で瀋陽桃仙空港から飛び立ちました。

北京は薄曇りです。北京オリンピック以来大きくなった北京国際空港です。

  

 

 

 

 

 

真っ直ぐ、全聚徳(和平店)北京ダッグのお店に。

中国料理協会会長 蘇秋成会長、世界中国料理連合会 尚哈玲秘書長(女性)中国料理協会顧問 孫月娜顧問(女性)この女性達は一昨年札幌に来られており顔見知りです。

最初に富井日本中国料理北海道本部長から挨拶をして、蘇秋成会長の挨拶で「日本の中国料理は素晴らしく良く勉強もされ努力もしている姿みてきております、今後も交流が続くように努力しましょう」との挨拶。日本中国料理鈴木札幌支部長の乾杯で交流が始まりました。

 

  

 

  

23日、今日は歩く距離があるので万歩計を付けました。皆さん食のプロだけに、天安門近くの公設朝市を視察しました。野菜、果物、豆腐、肉、朝食売り場など活気ある市場を見ました。そして天安門散策、故宮と向う長い距離です。そして万里の長城へ向いました。途中国営レストランに寄り昼食これまた専門家に見てもらい注文しました。

 

 

 

 

 

 

 

   

只々満足し、一路万里の長城へ、前の来た時と高速道路の出口が違い遠廻りになっていて、いつもの男坂、女坂とは違う便利なゴンドラに乗って裏山まで行き違う男坂、女坂に出ました。女坂を20分登り帰り20分足がガタガタです。帰りもゴンドラに乗って帰ってきました。

夕方は慢性的な交通ラッシュに遭いましたが市内の高級しゃぶしゃぶ店で公式行事もなく、視察の疲れを取りながら思い出話しをしながら、和気あいあいに視察最後の夕食を済ませました。

 

24日、まだ暗い早朝ホテルを出て8時発の飛行機で北京空港を札幌に向けて飛び立ちました。そして定刻12時50分新千歳に到着です。着陸でホット安心しました。北海道はやっぱりいいな!!解散式後、帰宅いたしました。

皆さん有難うございました。ご苦労様でした。また、皆さんと行けたら良いですね。

 

 

 

夜は、中国駐札幌総領事 胡 勝才さんの離任パーティーに駆けつけました。

胡 勝才総領事は会場に入る時に、私に北京から駆けつけてくれて有難うございますと言ってくれました。4年間お勤めになられ任期で北京に帰られるのであります。歴代の中では長い任期であります。中国総領事として北海道と中国の掛け橋になって頂きお忙しい日々であったと思います。何度も総領事とは会談もさせて頂き、胡 勝才総領事の誠実な人柄にふれ、日本留学以来広い人脈を構築してきただけある親日家の方であります。本当にご苦労様でした。また、日本に戻って勤務されると信じています。

 

 

25日、議会にでまして打ち合わせ、小樽建設協会の要望を受けました。

 

 

26日、事務書類整理したのち石狩湾新港組合理事者と打ち合わせ後、

北海道電力川合副社長、酒井常務に対しまして、中松小樽市長関係者、田岡石狩市長関係者、私と石狩湾新港関係者が石狩湾新港に北ガスがLNG基地を建設中でありそれを利用して北電火力発電所を建設して頂くようにお願い致しました。これは、政府が計画している日本海側拠点港指定に大きなインパクトを与えることになるので、早急に決定をお願いしたいと要望。川合副社長は検討しているので前向きに考えたいと話されていました。

  

 

夜は、ちば英守連合後援会代表者会議・道政報告・懇親会を開催して頂きました。今後の後援会活動について協議して頂き、私から道政についての報告をさせて頂き、懇親を深めました。

 

27日は、今日は特段日程が入っていません。ホットしたのか疲労が溜まっているせいか、一日ボ~としていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

28日、朝から青空のもと幌西連合町内会の運動会に参加しました。町内の大人も子供も参加して、学校関係者も全面協力で盛り上がった運動会です。

 

午後から、事務所で書類整理をして、夜の20会の例会に参加致しました。

 

 

29日、朝から来客が数組おいでになりました。

午後、札幌市身障協会に浅香会長を訪ね、瀋陽市残疾人連合会 淘慶才理事長の件、報告しました。

 

 

30日、朝、凛葉会の秋の研修旅行の打ち合わせ。11時から、ある専門学校の道議会本会議場での研修に、私も参加し学生の質問に答えました。

午後事務所に戻り、来客と懇談致しました。その後書類整理。

民主党の新総理が野田佳彦さんになったようです。頑張ってください「国民の為に」「どじょう総理」とか命がけで頑張ってエールを送ります。



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